日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか 孫崎享 著
さまざまな資料や著書から拾ってきたものを集めて構成している。
日露戦争直後から、日本は目をつけられていて、アメリカは、どのようにして日本に先制攻撃させるかを練っていた。日本はそれに載せられた。という論旨である。
日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか 孫崎享 著
さまざまな資料や著書から拾ってきたものを集めて構成している。
日露戦争直後から、日本は目をつけられていて、アメリカは、どのようにして日本に先制攻撃させるかを練っていた。日本はそれに載せられた。という論旨である。
「あたらしい純白のキャンバスに、その純白のキャンバスを描写すること。(中略)それは実在と、それ自身の虚像をぴったりと合わせることを意味します。そのとき、物体は実在でありながら同時に虚像であることによって0を掛けられた数式のようにその実在性は否定されます。(中略)僕が意図しているのは、物体をエネルギーだけに変えることによって不在化してしまう、原子力的方法です」(特集・新世代の画家への7つの質問、美術手帳第276号)物質的実在(絵の対象物)と非物質的実在(対象物の影)を衝突させて消してしまうこと。これが彼の「影」シリーズであった。
セザンヌの手紙 ポール・セザンヌ
消しゴム ロブ・グリエ
論理哲学論考 ヴィドゲンシュタイン
老子 福永光司
城 カフカ
意味と無意味 メルロ・ポンティ
抽象絵画-意味と限界 ハインリヒ・リュッツェラー
ぼくはいつも“芸術は"芸術は作者の内面を表現するものでない方がよい”と考えている。これまでの芸術は、自然なり物体なりを作者が見てそれに触発されて感情の表現をされてきた。だが、本当に純粋な絵画というものは、キャンバスがキャンバス自身を表現する、とおいうことではないだろうか。(「自分を無にすること」1980)
長身で---------------------------------
一本気で
明快で
突進力があり
そのために悩んで
その末に在りえない世界の入り口を見つけて
そのわずかな隙間から
身をこじ入れて
行ってしまった
高松次郎 明快なグレー
掌の中の無限 |
マチウ・リカール(左)とチン・スアン・トゥアン |
仏教は、独立した実在の存在に意義を唱え、相反的な関係および因果性という考えに行き着きます。つまり、出来事というのは、他の要因との関連において、それに依存してのみ出現するのです。ー(マチウ・リカール)
観察行為がまったくない状況の下で存在する「客観的な」現実について語るのは意味がない。それは決してとらえられないからです。つかまえられるのは、観測者とその測定機器に依存する電子の主観的な現実だけです。この現実が取る形は、われわれの存在と絡み合っている。われわれはもはや、原子の世界の騒然たるドラマを前にした受け身の観客ではなくて、完全な演技者なんです。ー(チン・スアン・トゥアン)
われわれは素粒子を、測定機器との、あるいは観測者の意識との相互作用の働きによって、はじめて物質化される潜在性と考えるべきです。完全に独立した現実とか、元来は対象に帰属するような測定とかを想定して、それを観測のプロセスから切り離すことはどうしてもできませんね。だから現実を主体と客体に分断することは不可能です。-(チン・スアン・トゥアン)
(量子力学が示すような現象の全体性をそのまま受け入れることは)仏教の基本的な方法なのです。単に知の方法としてではなく、人間的変革の実践としてもです。空性の理解へといたる分析は、一見きわめて知的に見えるかもしれないけれど、そこから生じる直接的認識は、私達を執着から解き放ち、したがって人間の生き方に深い影響を及ぼすのです。ー(マチウ・リカール)
ニルス・ボーア |
シュレーディンガー |
私たちの感覚は、普段は無意識に家事や仕事や娯楽などの目的に従っていますが、
それがにわかに主人公となって私たちを襲うのです。
私たちは、ヒトとか人間とか言われる者とは別の種類のモノに変わります。
この世界に投げ出され、世界と自分の有り様をまざまざと体験している、或る奇妙なモノとなります。
かつて無かった、いや発見できなかったモノです。
天空に散りばめられた星をつないで星座をつくるように、壁のシミを見て人の顔と思うように、
不定の何かに或る見解を与えられて辛うじて一つのまとまりであるような、そのような種類のモノとなります。
技術は開蔵のひとつのしかたである。 |
我々は、自然現象などから用象(役に立つこと)を引き出し、利用して、そして人間そのものもその体系の中に組み込んでしまう目に見えないしくみをこう名づける― Ge-stell と。 |
人間は今日、まさに自分自身、すなわち自分の本質には、もはやどこにおいても決して出会えないのである。 |
しかし危険があるところ、救うものもまた育つ。
技術の本質は、救うものの成長をそれ自体のうちに蔵しているにちがいない。
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用立て(Ge-stellのこと)の止めがたさと救うものの控えめさとはあたかも天体の運行における惑星の軌道のようにたがいの傍らを擦れ違っていく |
技術を徹底的に問いなおすこと、技術と決定的に対決することは、技術と親しいが一方でそれとは全く違うひとつの領域で生じる。 そのような領域が芸術である。 |
人間はこの大地に詩人的に住む |