2014年7月20日日曜日

量子力学の気持ち悪さ

寄席に行くといろいろな芸がある。落語もあれば漫才もあり奇術も曲芸もある。

奇妙な例えだとは思うが、物理学を寄席芸に例えるとしてみよう。科学というものは楽しいもので、ある意味エンタテインメントとしてみることもできるからだ。
そういう例え話で見てみると、相対性理論に比べて量子力学がいかに気持ち悪いものか、良くわかると思う。
大学で物理学を専攻した私ですが、学生時代は「量子力学とは、とにかくこういうものだ。」という風に教わって、計算ばかりしていました。この歳になってあらためて(専門書でなくて一般向けの本を)読んでみると、「量子力学ってすっきりしない、気持ちの悪いものだなあ」とつくづく思います。

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「相対性理論」という芸がある。この芸はアインシュタイン一人によって創作され、演じられた芸だ。
アインシュタインはすぐにスターになった。切れ味鋭いその芸は、人々に頭をガーンと殴られるようなショックを与え、「そんなバカなことがあるか」と当惑する客を翻弄し、夢中にさせ、寝る間を惜しんで考えさせてしまい、熱病に浮かされたようになって、最後には「そういうもの」として受け入れざるを得ないところに追い込む。入り、見せ場、オチの全てを完璧に兼ね備えた芸だ。そのネタは実に華麗だ。

相対性理論の芸は、何よりショッキングだ。すこしご紹介しよう。
【光速度一定】 二人の芸人が光の速度の90%で擦れ違い、お互いの速度を計る。当然光速の180%で擦れ違うと思うだろうが、実はどう計っても光速を超えることはない。
【歪む空間】 質量の重い芸人が出てくると、その背景が歪んで見える。重力によって空間が歪んでいるからだ。芸人の重力は増え続け、ついには光も出てくることができないブラックホールになる。
【質量=エネルギー】 芸人の一人が突然消滅すると大爆発を起こす。原子核分裂によって質量をエネルギーに変え、爆発したのである。

どれをとっても派手で、わかりやすくて、スキャンダラスな芸風だ。



その一方で、気持ち悪い芸がある。「量子力学」という芸だ。
この量子力学という芸は、始末が悪い。まず、芸人が何をやっているのかわからない。見せ場が分かるのに時間がかかる。そしてオチがない。客は宙ぶらりんの状態に投げ出されたまま、放っておかれてしまう。面白いのだけれど、その面白さがわかるまでには時間がかかるし、オチがないので、なんだか妙な気持ちのままそのあと過ごさなければならない。
そしてなぜか「量子力学」という芸は演じ手が多い。マックス・プランク、ニルス・ボーア、ハイゼンベルク、ルイ・ド・ブロイ、シュレーディンガー、ウォルフガング・パウリ・・・キラ星の如く名人たちがいる。そしてその芸は21世紀の今になっても現存する研究者によって引き継がれていて、そしてその芸の気持ち悪さはエスカレートする一方だ。

ニルス・ボーア
シュレーディンガー

量子力学のネタをいくつかご紹介しよう。

【見えざる芸】
これは、面白さを理解するのが非常に難しい芸だ。このネタは、観客が舞台を見ていないときに演じられ、観客が舞台を見た瞬間、芸人たちは動きを止め演じるのをやめてしまう。
観客は、芸人がどのあたりにいて、どういう動きをするのか、その可能性だけは分かっているのだが実際芸人が活動している姿を直接見ることはだけは絶対にできない。この芸は、観客が見た瞬間に芸人が何をやっているか決まる。あらかじめ芸人は舞台で何かをやっていてそれを観客が偶然見るのではない。観客が見ることによって、芸人の舞台上での位置を決めるのである。
では観客はどうやって楽しめば良いのか?
実をいうと、見ることができない芸というそのこと自体がこの芸の最大の魅力でもあるのだ。なんとも不可解な芸なので、大抵の観客は????となってしまう。

【限りない分身】
上記の【見えざる芸】の楽しみ方がどうしても分からない人たちのために考え出された芸の鑑賞方法の一つ。観客が舞台を見た瞬間に、あらゆる芸人の振る舞いに対して、観客自身を含めて世界が分かれて存在すると解釈する。つまり1度見れば何百の世界が出来るので、すさまじい数の世界が同時並行して出来てしまう。たとえばある客が、舞台を見た瞬間に芸人が舞台の中央に居た場合、「わたしはたまたま芸人が舞台の中央に居る世界にいたのだ」と解釈する。【見えざる芸】の面白さがわからない人のために、なんとか理解できるように考えられたこの芸の鑑賞法である。しかし、これも【見えざる芸】と同様に気持ちの悪い話だ。

【もつれ】
2人一組で演じられる曲芸のような芸。この二人の芸人は、いくら遠くはなれていても(舞台の端から端、東京と大阪、地球と火星、いや宇宙の端から端だろうと)、一瞬にしてお互いの衣装をそろえてしまう。一人が青いスーツを着ていればもう一人も必ず青いスーツを着ている。これは、最初にお互いに示し合わせて青いスーツを着ているわけではない。本当にお互いに相方の衣装は知らないのだが、観客が一方の芸人の衣装を見た瞬間に遠くはなれた相方の衣装も決まるのだ。光より速いスピードで情報を伝えることはできないはずなのだが、この芸はタネも仕掛けもないのに出来てしまう。

【場に合わせ】
漫才の一種。ある規則にしたがって芸人が自分の姿や性質を変えてしまう芸。2人の芸人が出てくる、「相方は性質が違っていること」という決まりがあって、その決まりに合わないと芸人自身が性質を変えてしまう。
例えば二人の男の芸人が出てくる。しかしマイクの前に立つと、突然、一人が女に変わってしまう。
決まりはいくつかあって、「背が高い/低い」「太っている/痩せている」という特徴もその規則に加えることができる。二人の、痩せた背の高い男性の芸人が舞台に出てきて、マイクの前に立ったとたん、一人が太った背の高い女性になり、もう一人は痩せた背の低い男性になる。



上の説明の、芸人を光子や電子などの粒子に置き換えれば、量子力学そのもの解説となっている。
【見えざる芸】は、不確定性原理
【限りない分身】は、多世界解釈
【もつれ】は、量子もつれ
【場に合わせ】は、状況依存性
を表している。

芸に例えてみると量子力学がいかに奇妙で気持ち悪いかを良くわかると思う。

しかし、量子力学は、現在の私達の世界で起こっていることを説明する非常に良い理論であって、その結論には毛の先ほどの疑義が出ていない。いまのところ量子力学は常に正しい。
また私達の生活は量子力学の恩恵をうけている。私は今こうしてPCで文字を打っているが、エレクトロニクスは量子力学なくして存在しえない。PCを初めとした電子制御が関係する仕事は量子力学の影響なくして生まれなかった。私達の社会は量子力学に深く依存している。

量子力学は奇妙で気持ち悪いけれども、これがこの世界の真実である。したがって、私達の住むこの世界は、相当奇妙で気持ち悪いものであるということだ。

しかし真実である以上、いつまでも気持ち悪いとも言っていられない。なんとかしてこの気持ち悪さを当然のこととして受け入れる考え方を身につけないと、私たちはこの世の中に適合できない。

さて、実はこの気持ち悪さを解消し、スッキリする考え方がある。次回はそれについて述べたいと思う。


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