2010年2月27日土曜日

八幡クロニクル

3月に八幡クロニクルという北九州市で開かれるイベントに参加します。
このイベントは展覧会、地元住民とのコラボレーション・プログラム、
シンポジウムなどで構成されます。
展覧会の企画の担当し、アーティストでもある森秀信さんに
本の作品を気に入ってもらったので、それを出します。

八幡には、Contemporary Art Seminar in Kitakyushuという
夏に開かれるセミナーに3年連続で参加した縁があります。

↓画像をクリックするとリンクします。



ギャラリー現での展示風景




SALE OF INDETERMINISTIC AND UNKNOWN SPACES
The books of various kinds.
Covered by original pictures,sealed and vacuum-packed,the titles and the contents of the books cannot be seen.
It is up to buyer’s determination whether he/she keeps it unchanged or breaks the pack and seal to read the book.

非決定論的かつ未知な空間の販売
多種の本。
オリジナル絵画で包まれ、封印、真空パックされており、本の題と中身を見ることはできない。
そのまま所有するか、パックと封印を破り本を読むか、購入者の決定に委ねられる。

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春が始まった。写真を5枚。









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2010年2月24日水曜日

土と米



何か粘り気のあるものが必要だと思って
土と、ご飯でつくった糊を混ぜて紙に塗ってみた。

そのまま固まると思いきや、
歪んで丸まってきた。
それでも崩れずにしっかりついている。

今度はもっと大きいのをつくろう。

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2010年2月21日日曜日

新しい世界のその後

7日間の創造の時を経て、新しい世界が新たな表象をみせてくれました。

思いのほかドラマチックな展開。赤ワインは乾くと青くなる。


牛乳だけだったところは少しワインを吸って薄紫白に固まっています。少しツヤあり。



牛乳はワインより重いため、ワインの下に牛乳がすべりこんで固まったところ。


こちらもワインと牛乳が混ざったところだが、ワインの赤色のほうが勝っている。


ワインだけのところは、青のグラデーションになっている。

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物凄い古事記 続きこれで終わり

考えてみれば第2次世界大戦の地獄に比べれば
古事記の残酷さなど可愛いものだ。

神話とは、生活や政治の根本にかかわるものでした。

さて、現代の神話は何か----それは科学技術です。

DNAや、ITが、私たちの経済やらなにやらを動かす
イノベーションの源泉となり、
ビックバンや脳や進化が「私たちはどこから来たのか?」という
神話的問いの回答となっています。

古事記の持つ破壊や残虐のエネルギーはどこにいったのか

それは、核爆弾の中に入っていったのだ。
地球を何十回も破壊できる膨大な暴力は、密かに管理されている。
それにくれべれば古事記の残酷さなど可愛いものだ。

2010年2月20日土曜日

物凄い古事記 さらに続き

ひどい二日酔いになると、その苦しみは格別である。

しばらく前になるが、あまりに気持ち悪くて吐いてしまった。
吐く時は、私というものが無くなり、私は吐き気そのものとなっている
忘我の瞬間。苦しみと快楽が混ぜこぜとなって強烈なものである。

内臓が一気に噴き出して、私の意識は吹き飛んでしまう。

さて、今にして思えば、生というものは、この苦しみ(と快楽)そのものではないだろうか
この強烈な感覚が、常に現象としてでてくると、
私というものは耐え切れなくてすぐに死んでしまうだろう。

だから辛うじて、私の肉体として、生理として、本能として、
意識として、そして思考や論理として
現われ出ているにすぎない。

だから本当の私とは、吐いている時の私である
あの苦しみと快楽の絶頂の世界にいるときが、本来の私なのである。
吐いている時、私は何かに、直に接触している。
全ての生の元となる何かに、感覚の分化する前の何かに。


・・・・・・
さて、古事記の作者は、そのことをよく知っているように思う。

混沌から世界が分化して作られている過程は、
感覚の分化過程において
絶頂的な苦しみや残虐にも似たものだろう。
人間の耐えられる限界を超えている。

そう考えれば古事記に出てくる、凄まじい物語も、
むしろ控えめな表現にさえ思えてくる。


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2010年2月19日金曜日

物凄い古事記 つづき

古事記がこれほど凄まじい話である理由があるはずである。

科学がなかった時代なので、
世界の成り立ちを感覚的に理解することがどうしても
必要だったはずである。

古事記を読むと、液体、体液から神々や土地が誕生していることに気付く。

最初は原始の海に入れたイザナキの矛から垂れた滴が、島をつくった。


そのほか、神が誕生する時は、
イザナミのゲロや糞小便から。
飛び散る血から。
イザナキが体を清めた川の水から。
という具合である。

身体の生理的な現象(液体・体液)と、自然界の現象を関連して考えざるを
得なかったのであろう。

神話がシモネタ好きなのも、残虐なのも、感覚性を高めるためなのだろう。
性と死は意識と感覚を高めるからだと思う。

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2010年2月18日木曜日

物凄い古事記

古事記の現代語訳を読んでいるが、
実に凄まじい話しだ。

・近親相姦(イザナキとイザナミは兄と妹)
・奇形胎児遺棄(最初に生まれた骨なしの子、ヒルコを葦舟で流してしまう)
・女陰の大やけど(イザナミは火の神を生んだとき、大やけどを負い、死んでしまう)
・苦しむイザナミのゲロ、糞、尿からも生まれる神々
・子殺し(イザナギはイザナミの命を奪った火の神の首を切り落とす)
・飛び散る血からも生まれる神々
・ウジのわく腐乱死体が追いかけてくる(黄泉の国まで出向いたイザナギは、腐乱したイザナミの死体を見てしまう。死体のイザナミは「よくも私に恥をかかせたな」と追いかけてくる・・・)

まるでホラームービーである。

わが国の神話がこれほどまでに汚いというか、凄まじいとは知らなかった。
なぜ古代人は、このような生々しい話を必要としたのだろうか。

神話は感覚の論理で書かれているといわれ、
神話の出来事は世界を感覚で捉えるための知恵が満ちている。

しかし古事記の神話はあまりにもひどずぎるのではないだろうか。

古事記がこれほど凄まじい話である理由があるはずである。



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2010年2月14日日曜日

新しい世界

赤ワインと牛乳で新しい世界をつくった。



赤ワインは酸性なので、牛乳を固まらせる。
2つの液が接触するところは、複雑な文様をつくる。


2010年2月13日土曜日

2つの医学

2つの医学の本を読んでいる。
1つは、
ビジュアルディクショナリー 人体解剖図




メカニックなものとしての身体を今一度理解しようと思っています。
人体機能の精密さ、複雑さに、改めて感動します。
しかも、それは私のこの身体の中で起こっているということ!

人体は、いろいろな循環で成り立っています。
神経系、血管系、リンパ系、消火器系、内分泌系、呼吸器系
それらを1つ1つ意識して、私の、私自信の身体理解を
[感覚的に]つくっていきたいと思っています。


もう一つは、

チベット医学の真髄


チベット医学は東洋医学の源泉というべき医学体系で、
目に見えない生気の流れを論じています。
これが、面白い。

3つの生体エネルギーの流れあります。
ルン(動きをつかさどる)、ティーパ(熱や消化をつかさどる)、ペーケン(水分量調整をつかさどる)。
これらを運ぶ7万2千本の脈管があって、
それら生気の流れを調節するポンプかバルブのような[チャクラ]というものが体内に6つあります。
これらの生気エネルギーの流れの器官は、
血管やリンパ系など目にみえる器官とは別に存在する、
目に見えない生気の流れとしてあるわけです。

まるで観てきたようなことが書いてありますが、いったいこれらは何なのでしょうか?

西洋解剖学が、目の前に身体を置いて、身体を客観的、機械的に記述しているのに対し、
チベット医学は、生きている人間が、生きている自分の身体を[感じ取った]結果
こういう体系と作ったのでしょう。
そして、それらがあると思うと、いろいろ都合がよく、実際治療などに役に立ったという
実績が生まれ、医学体系として確立されていったのだと思います。

つまり、チベット医学は[感覚の医学]です。

これは、フロイトの提唱した無意識に良く似ています。
無意識という実体があるわけではありませんが、
その存在を仮定すると精神疾患が良く説明でき、実際治療にも役立ったわけです。

チベット医学は脈診を重んずるそうです。
1時間くらい患者の脈を取って、指先に意識を集中し、
脈の複雑なリズムの中から生気の流れの悪いところを感じ取るのだそうです。
これは、書物などでは伝えられない、感覚的な技の術です。


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2010年2月8日月曜日

生命誕生について



日経サイエンス 2009年12月号の「起源に迫る」の特集で
生命の起源の記事があった。

Webの要約記事↓
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0912/200912_028.html

・(細胞膜の元となる)脂質膜と(RNAの元となる)ヌクレオチドは自然に生成されうることがわかった。
・RNA複製するリボサイムは実験的につくった化学進化の手順で創られうる。
・脂質膜で覆われた液滴の分裂過程は実験でわかってきた。


その上で、記事では以下のような仮説をあげている。

原初の地球は寒くて凍りに覆われた水溜りがあった。
水溜りの底は地熱で暖められていた。
氷に冷やされたブロトセル(細胞の元となる脂質膜の液適)は沈んで、
地熱で暖められRNAが解け、その後対流で上昇し、脂質膜が分裂。
上の方で氷に冷やされてRNA二重鎖が出来る。
このようにRNA合成サイクルができる。
やがて化学進化によって生まれたリボサイムがRNA合成をするようになって最初の自己増殖する脂質膜の液滴(つまり生物)が生まれる。・・・・・・

まだ怪しいところは多いけれども
私が中学生のときに知ったオパーリンのコアセルベート説(海に液滴が浮かんでいて、それがくっついたり離れたりして最初の細胞がうまれた)というラフな仮説からはずいぶん精緻になったものだ。

科学者達は、実験室の中で、自己増殖する脂質膜の液滴(つまり生物)を人工的に作り出そうとしている。そう遠くない将来にできるのかもしれない。

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2010年2月7日日曜日

なぜ私はこれをするのか


なぜ、僕はコーヒーだの、うがい薬だの、食塩だの、牛乳だのを
紙の上にこぼして乾かしているのか?
絵画のような作品をつくっているわけではないのです。
完全に乾いた画面を得るのが目的ではないのです。
大切なのはその過程です。

いってみれば地球上での生命誕生を
私なりに追体験しているのです。

生命誕生は、感覚で世界を捉える上において、
もっとも大きなイベントであったといえます。
なにしろ感覚を主体的に感じ取る存在なのですから。

生命誕生には諸説あって、いまだにナゾです。
しかし、恐らく2つの大きな要因があったに違いないのです。

1つは、ながーい間の地球の冷却化の過程です。
冷えていく過程は、現象を複雑にしていきます。
地球内部のマントル対流発生し、火山噴火が起き、地層が作られます。
生命誕生もその冷却化=複雑化の過程で出来たに違いないのです。

もう一つは、非常に長い間安定的な状態があったのだと思います。
そういう安定した状態は、おそらく海ではなく、地中ではなかっただろうか。
荒れ狂う海に稲妻が走って生命が誕生したような映画的な風景は無かったと思います。

紙の上に液体をこぼして、それを放置しておいても
生命が誕生するわけではありません。
しかし、最初の動的な状態が安定し、乾燥の過程で複雑な文様が出来ていく
その過程を理解することはできるのです。

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2010年2月6日土曜日

創造8日目

意外と変化に富んできました。
白っぽいだけだったところにも細かな表情がみられます。



牛乳に酢をかけてかたまらせたところ



食塩は結晶化し、ところどころ光っています。



ラードはかたまっても、ヤッパリねとねとしています。



鎮痛剤は黒くなった。。。。



このような模様は、昼夜の寒暖の差などだろうか



次は、薬用酒、食用油、食塩水を使って別の世界をつくる。


2つの世界が同時につくられつつあります。




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2010年2月5日金曜日

田島の作品が豊田市美術館に展示されます。



とよた美術展2010 という公募に入選しまして、
2月6日から28日まで、豊田市美術館に展示されます。
ファッション雑誌の髪型を切り抜いたコラージュで、
大きさは110x120cm。
細胞、分子レベルにまでバラバラになって分析される、
現代の新しい身体表現です。
なお、この展ではHairという平凡なタイトルで出品していますが、
メジューサ(髪の毛がヘビのギリシア神話の怪獣)という
タイトルが良いかと思い直しております。

とよた美術展2010



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2010年2月1日月曜日

創造3日目

創造3日目。
白っぽくなってきました。
ラード、牛乳のせいでしょう。(腐ってるわけではありません。)

イザナキ、イザナミも最初は失敗しましたからね。
次の世界創造のときはラードは使わないようにしましょう。




でも、奇妙な風景はつくることができました。
まだまだ液体の部分も残っています。
引き続き乾かしています。