前回にも書いたことだが、
いかに、自然と社会を直結させるか、ということが重要なのだ。
図式的に言えば、以下のようになる。
自然---社会
ところが社会は人間が作っているわけだし、
自然も認識者がいなければ存在しないのと同じことだ。
すなわち
自然---人間---社会
ということになる。
ところで人間は 身体と精神であるから
自然---身体---精神---社会
というわけである。
ところが、現代人の悲劇は、精神が社会に支配されており
身体とのつながりを軽視しがちということだ。
ましてや、自然と身体とのつながりは想像すらできないのではないか。
つまり、以下のようになっている。
自然 - l - 身体 - l - 精神---社会
これでは、風とおしが悪い、不健康な世界である。
問題は、
自然---身体---精神
のところの効率をいかに上げるかということである。
ところが考えてみれば、身体は、数十億年の進化の結果作られたものであり
私たちの身体は自然そのものといえるので、効率も何もそもそも一体のものである。
また、精神は身体から多大な影響を受けているので、身体と精神のつながりなどということは、いまさらいうまでもないことだ。
こういう当たり前のことをあえて言わなければならない、言い続けなければならないということは、悲劇的な事態である。
この病理はどこから生じたのだろうか?
やはり近代主義がすべてを歪めたのだろう。
特に、自然を資源を搾取する工場とみなしたことと、身体を機械とみなしたことである。
科学や産業の興隆は、良いことを沢山もたらしたのであるが、残念ながら自然と身体との関係を断絶してしまった。
今、あえてそれらを取り戻す必要があるのである。
芸術は、それらに対する一種の処方箋であるが、有効な手段なのか、他にも良い方法があるのか、活動しながら検証しているところだ。
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2011年5月8日日曜日
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