2011年8月22日月曜日

中之条ビエンナーレ いよいよ始まりました。

8月20日、中之条ビエンナーレ初日です。
拠点会場の「つむじ」にて、私のアクション
「米糊を手で塗る」が行なわれました。

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初日の夜はイベント「夜光市」が行なわれ、音楽とダンスで盛り上がりました。
全ての会場に作品が揃い、沢山の人たちが訪れています。
今、中之条は熱い。


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2011年8月18日木曜日

現代文明の身体的理解とは

今日は殺人的な暑さだ。
私はエアコンの効いた部屋で、インターネットに触れ、この投稿を打っている。


エアコンなど無かった江戸の昔は、暑いときはなるべく動かないようにし、あとはひたすら暑さに耐えていた。


私たちは、資本主義的なテクノロジーに取り囲まれ、
それらと一体になって生活している。




私はいままで、こういうことを、自然と身体とを分断するものとしてネガティブな記述をすることが多かったが、そのように捉えることは、誤りであろう。


浄水場からの水を使い、下水処理場で浄化して川に戻す。
化石燃料(や原子力)をつかって発電した電力を使っている。
インターネットをつかって情報を入手したり、流したりする。
Eメールは欠かせないツールになった。
第1次、第2次、第3次の産業を通じて生産されたものを消費している。


このテクノロジー全体(ハイデガーのいう「ゲシュテル」)は、紛れもない現実であり、もはや否定すること自体がナンセンスだ。


では、どうするのか?


あまり面白いことではないが、むしろ、このテクノロジー全体が、私たちの身体である、と考えるべきではないだろうか。


私たちは、社会から独立した一個の生命体なのではなく、資本主義的テクノロジーに心も体も渾然一体となっている。
意識や無意識は、個人が持っているものではなくて、社会に深くかかわっており、むしろ一つの資源や産業のように需要と供給の中に位置づけられる。
フーコーのいうミクロ権力、またはルーマンのいうように社会が一個の有機体なのだろう。


直接自然に接しており、自然と駆け引きをするのは、このようなテクノロジーであり産業なのである。だからそのテクノロジーや産業が我々の身体であると考えたときに、我々の真の自然認識は始まるのである。


我々は、浄水場が食道であり、下水処理場が腎臓であり、発電プラントが肝臓であり、情報ネットワークが神経系統である。


社会を身体となぞらえることはホッブス以来の古臭いアイデアであろうが、現代においてリアリティをもって産業=身体 説は復活されるべきであろう。











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2011年8月8日月曜日

中之条ビエンナーレ搬入

群馬県中之条町で2年に1回行なわれるアートイベント 中之条ビエンナーレの搬入に行ってきました。

木造校舎や商店街など、町の各所で作品が展示されるイベントが行なわれます。
さて、私の会場は旧第三小学校という廃校です。



昔のたたずまいを残す木造校舎



私の割り当ての教室。木の窓枠が美しい
  

教室の前面
 


紙を貼って米糊(+食用竹炭)を塗りました。
真ん中の四角のものが黒板の部分です。




黒板部分を角度を変えてみたところ

中央部の拡大



教室の後ろ。
描いたところは平面で
空いているところは柱に相当します。



部分拡大


体育館でも展示していますが、搬入が遅くなり、写真がとれなかった。
 中之条ビエンナーレは8月20日開幕。
オープニングイベントの一つとして、私の「米糊を手で塗る」アクションが行なわれます。


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