昨日、現代Heightsで公開制作を行いました。
その模様をyoutubeにupしました。
↓画像をクリックするとYoutubeにリンクします。
さて、実は私は、この行為を「制作」とか「Painting」とかいうことに抵抗がある。
私の目的は、自然-身体-精神-社会を結びつけることだ。
かつて、神話がその役を担っていたが、現代では完全にそれらは分断されている。
現代社会の根本的な問題である。
私は食べ物を使うことによって自然-身体をつなぎ
行為をなすことによって身体と精神をつなぎ
ギャラリーで発表することによって社会につなぐ。
私たちの身体は自分の意思にかかわらず、常に活動している。
血液は循環し、腸は蠕動運動し、腎臓は尿を濾しとっている。
身体はもっとも身近な自然だ。
私はそのことを外に現そうとしたとき、どうしても既成の絵具は使えなくなってしまった。
身体に親和性のあるもの-食べ物-を使うしかなかったのだ。
私は身体の内部感覚を、手の感覚を通じて壁に貼られた紙に直接つなぐ。
だから「絵を描いている」のでもなく、「モノを制作している」のでもない。
自然-精神-身体-社会を結びつけているのだ。
私は、今では稀にしか見られない、回路を生成している。
私の目的は、この回路を太く、大きく、強くしていき、
現在の人間社会を矯正していくことである。
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2010年5月29日土曜日
2010年5月28日金曜日
2010年5月23日日曜日
人工生命の誕生 と 荒川修作の死
人工ゲノムを持った「人工細菌」の電子顕微鏡写真=サイエンス提供
人工生命が出来たというニュースがあったので読んでみたら
合成したDNAを細菌に入れ込んで、分裂することを確認したということだった。
膜や、そのほかの代謝機能を合成したわけではないが
膜や、そのほかの代謝機能を合成したわけではないが
完全な人工生命の達成に近づいていることは確かのようだ。
生命誕生が誕生するとしたら、感覚史(感覚がどうやって現われ出でてきたかという
私の造語です)にとって、非常に大きな出来事だ。
実験室の中で生命ができるとなると、感覚史にとってまた新しい段階になる。
・・・私は考えるのですが、、この種の人工生命は
何かを「感じて」いるのでしょうか。
「感覚器がないんだから感じるわけがない」というのが普通の答えです。
感覚器があっても意識がなければ感じない-という風に考える人います。
しかし私はそうは考えません。刺激に対する反応がある現象は
すべて感覚とみなすようにします。
これは極端で大げさな考え方ですが、
自然-身体-精神-社会をつなぐことを目指す以上、
避けることができない考えであると思っています。
ところで、「死なない」ことをテーマとしていた荒川修作氏が亡くなった。
「死なない、死なない」と言い続けていたが、やっぱり死んでしまった。
死なないといえば、まえにも言ったが、再生医療が発達してくると、人間は死ななくなる。
自分の身体パーツを作っておいて悪くなると取り替える。
脳も記憶をバックアップしておいて、再生させることが可能となるだろう。
自分の身体パーツを作っておいて悪くなると取り替える。
脳も記憶をバックアップしておいて、再生させることが可能となるだろう。
そのことを知ってか知らずか、荒川氏は亡くなった。
彼の著作を何冊か読んだが、難解この上なかった。
しかし言えるのは彼はとても、〈野性〉的な人であったということです。
田島5月末の展覧会の予定 、↓下のブログをご覧ください。
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2010年5月20日木曜日
2010年5月18日火曜日
2010年5月9日日曜日
次の展覧会 5/27-6/8
次回の展覧会のお知らせです。
場所は下北沢の 現代Hights
カフェ兼、ギャラリー兼、CDショップで
なかなか良い雰囲気です。
Gallery Den .stという小さいほうのスペースで
あの言水制作室の企画シリーズのトップでやります。
会期 5月27日-6月8日 (6月2日の水曜休み )
時間 13:00-22:00 (お店は午前1時までやってます)
さて、5月29日(土)の17:00より公開制作を行います。
やることは米糊と竹炭のハンドペインティングです。
↓こんな感じでやります(関連記事)
http://te-tajima.blogspot.com/2010/05/blog-post_05.html
壁全面展開する予定。ギャラリーのご厚意により、制作した作品をその後の日程でも
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場所は下北沢の 現代Hights
カフェ兼、ギャラリー兼、CDショップで
なかなか良い雰囲気です。
Gallery Den .stという小さいほうのスペースで
あの言水制作室の企画シリーズのトップでやります。
会期 5月27日-6月8日 (6月2日の水曜休み )
時間 13:00-22:00 (お店は午前1時までやってます)
さて、5月29日(土)の17:00より公開制作を行います。
やることは米糊と竹炭のハンドペインティングです。
↓こんな感じでやります(関連記事)
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壁全面展開する予定。ギャラリーのご厚意により、制作した作品をその後の日程でも
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2010年5月5日水曜日
米糊と竹炭のペインティングの動画
2010年5月4日火曜日
意識 感覚 現前 表象 クオリア
自分が存在している、ということの強い感じ。
室内のひんやりした空気、
聞こえてくる周囲の音
尻に当たる椅子の硬い感じ
床に当たっている足
内臓のもったりした感じ
目に映る室内の光景
肉体を覆っている衣服の感触
あらゆる感覚が私にとって、現れ出でている。
僕が常々不思議だと思うのは、
意識とか、現前とか、表象とか、クオリアとか呼ばれる
これら一連の
確かに、ありありと、そこに在る、という感覚の問題だ。
なぜ、そうなのか?これは本当か?
さて前野隆司氏は、「意識はイリュージョンである」と言い切る。
意識の全ては、作り出さされたものであり、
脳神経の諸機能が働いて、クオリアを作り出しているという
「受動的意識仮説」を展開する。
僕も前野氏の考えに賛同するが、一方で前野氏は
クオリアが出来あがる過程そのものについては無関心だ。
それは心身二元論として、本書のような一元論とは相容れないと考えてるらしい。
もう一方の茂木健一郎氏は、
あくまでクオリアにこだわっている、
クオリアは分割できない対象と考えており
クオリアが出来上がる仮定に迫っている。
しかし、デビッド・チャーマーズの言うところの「難しい問題」に
まともに取り組んでいるだけに、その成果はあまり多くない。
問題は「難しい問題」の取り扱いかただと思う。
前野氏のいうように、クオリアとはイリュージョンである、と考えれば
問題はことごとく解けると思う。
しかしクオリアを「難しい問題」と捉えて、そこにこだわると
とたんに解決は困難になる。
意識問題は問いの立て方が構造的な問題のように思える。
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