大地、海流、気候、消化、排泄、肉体の働き、心の働き、
そして、感情の動き、会話、観察、認識、消費、思考、感覚、肩こり、
音楽を聴く、テレビを見る、ビールを飲む
などのこと
できれば私は
私というものがなくなり、
ひとつの透明なメディアになり、
ひとつのメカニックな体系、
ひとつのシステム
ひとつの循環するルート
に成りきって
オリジンから吹き出してくるものを
ほとんどそのまま
アウトプットにしたいと思う。
地下から温泉が吹き出てくるのと同じだ。
結局自分自身が孤立した肉体を持ち、自律した精神を有するがゆえに
循環がそのなかに限定されているかのような誤解をうけてしまう。
しかしそうではない、
本当はとても単純なことで
私はできれば何もしないで、ただそれらのエネルギーを
できるだけ効率よく流しておくだけのものになりたいと思うのだ。
つまりできるだけ太い水道管。
できるだけ幅の広い川、
できうるならば私のような存在などなくて
自然と社会が直結しているほうがいい。
私の存在そのものが邪魔であるくらいのほうが望ましい。
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2011年5月5日木曜日
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