2009年12月10日木曜日

夜の森林

感覚で世界を捉える者にとって、
森林は非常に示唆に富む場所です。

特に夜の森林は。

冬は虫も鳴いていません。沈黙が支配する世界です。
沈黙?・・・・いや、そうではありません。

小枝が落ちる音。
わずかな風が葉を揺らす音。
地に落ちた枯葉が夜の冷気で少し膨れるときのすれたような音・・・・

夜の中に冴えた聴覚を広げると 、微妙な森の活動を感知します。

(この黒い画面の中に、曇りの夜空を背景にした木々が写っています。
拡大してよーく見てください。)

茫洋とした光を放つ曇りの夜空に照らされ、
木々が闇の中に掴み取れるかのように実体を晒しています。
闇が目の前に実体として立ちはだかっているようです。

そこは、「兆候」・「予感」・「気配」が支配する世界です。
感知できるか出来ないか、ぎりぎりの現象が無数にうごめく空間です。
私たちの感覚は、そのようにして、本来あるべきものに戻るのです。

それに対し現代は、「記号」・「情報」が支配する世界です。
私たちの「兆候」・「予感」・「気配」への感受性は、日々鈍くなっています。
精神は記号ばかりを追って社会の奴隷になっています。
感覚が使われないので、身体は精神から分離して
僕らの精神は疲れきってしまっています。
これが現代の病理です。

時には感覚を広い空間に広げ、感覚の流れる線を
確かめる必要があるのです。

多くの人はジョギングなどの運動をして、健康を維持し新陳代謝をよくしようとしています。
感覚も同じことで、滞った流れを良くしておくことが必要なのです。


↓ランキングに参加しています。ご協力をお願いします。
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿