現実に、自分が物理的に存在していることを、腹の底から実感するには
どうしたらいいだろうか。
私がたどり着いた結論
やはり、身体 なのです。
身体こそが、自分が物理的に存在していることを証明する唯一のものです。
私が25歳にして無謀にもラグビーを始めたのも
今にして思えばそういう身体的実感を求めていたのだろうと思います。
しばらく前に、この本を手にしました。
今では超有名人となった斎藤孝氏の数ある著書のなかでも
一番のお勧めです。
冒頭部分を引用します。
"最近、自己の存在感の希薄化がしばしば問題にされる。自分がしっかりここに存在していると感じられるためには、心理面だけでなく、身体感覚の助けも必要である。現在の日本で、自分のからだに一本しっかりと背骨が通っていると言うことができる者はどれだけいるであろうか。あるいは、「腰が据わっている」や「肚(はら)ができている」や「地に足がついている」といった感覚を自分の身において実感できている者はどれだけいるであろうか"
---身体感覚は、「技」である、ということは目から鱗であった。
存在する、ということは、哲学の問題ではなく、身体の問題、身体の技術の問題なのだ。
「存在するための技術」があったのだ。
日本には、身体の感覚をつくる技があって、もっとも重視されたのが「肚(はら)」である。
具体的にはヘソの下の部分。臍下丹田(せいかたんでん)と呼ばれている身体の中心である。
浴衣やハッピを着るとその上で帯を締めるようになっていて、なるほどと思ったものだ。
さて、この丹田の感覚、身体の中心感覚は、技として作っていくものです。
そして約1年前、私は、丹田の形成を始めました。
丹田について(2010年3月6日)
丹田形成 その後(2010年3月10日)
それから1年、粘り強く 丹田呼吸法をやって、最近は下腹に充実感を感じるようになりました。
つねに帯を締めていて、ギュっと締まっているような感覚です。
これが身体の中心感覚なのか、と実感しています。
こうして私は、自分が物理的に存在していること、の実感を、技として手に入れることができました。
精神と身体がぴったりとくっついている感じ。。。。penetrationの感じを獲得しつつあります。
ただ、私が以前感じていた、世界との遠さ・・・感覚の窓を通じてしか世界とコミュミニケートできないという、いわば現象学的な遠さ・・・それは、完全に克服されたわけではありません。
いえ、それは克服は不可能で、カントがいうように「物自体の認識は不可能」なのですから。
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿