2011年2月25日金曜日

penetration(貫き通す)の感覚

penetration(貫き通す)の感覚は、私にとって非常に重要である。

何かと同一化しているかのように刺し貫かれていること。
ぴったりとくっついて、串刺しになっている感じである。

焼き鳥が串に刺し貫かれているように、
ホッチキスが紙を刺し貫いて止めているように。

私は、自然-身体-精神-社会をpenetrationすることを、唱えはじめた。

自然と身体について:身体は自然現象そのものであり、自然現象にぴったりとくっついている。

身体と精神について:人によっては精神は身体と独立しているかのような言い方をする人もいる。
だが、物質界に生まれ、精神が物質によって規定されているならば、精神は身体という物質に
分かちがたく結びついていると考えなければならない。

精神と社会: こう書くと、なにか絶望的な気分にもなる。精神は社会にどのような影響を
与えているだろうか?社会は、精神によって出来上がっているであろうか。
社会とは、経済のことではないだろうか?
だが私は、社会とは精神であると、言いたい、いえるくらいに活動しなければならない。


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