前回のテーマの調査を終えて、私は考えている。
もっともらしいことを書いたが、何か気に入らない。
なんだかこじつけがましい。
自然-身体-精神-社会をつなぐことは
「あの世」の想定をしていない。
この世の経験こそ、リアルなものである、という基調があるので
宿題を死後に持って帰らないのだ。
もし、死後の世界を想定すると、
自然-身体-精神-社会の経験が相対化されてしまうのである。
つまり、自然-身体-精神-社会をつなぐことは
「魂を磨く」ための単なる手段の一つになるだけなのである。
死後の世界を信じる者に言わせると
すべては必然であり、この世の経験すべては魂の学びである、という。
何か辛い目にあう人は、自分ではどうにもならないことを経験する
という試練をうけるべく生まれたのだというのである。
私が、自然-身体-精神-社会をつなぐなどと考え、活動していることも
前の世で私の魂が立てた学びの志のひとつであるのだろうか?
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