2011年2月14日月曜日

死後の世界の考え方について

自然-身体-精神-社会をつなぐことを目指す私は、やがて文化総体を見直すという大きなテーマに直面せざるを得ないと思います。「死後の世界の考えかた」は、文化圏の文化の形を考える鏡のようなものです。というのも、「死後の世界はあると思うか」という質問にはその人の死生観、人生観など重要な要素が入ってくるのであり、それら一つ一つの回答を集めると文化総体の姿が現れてくると思います


こちら↓に、「死後の世界を考えたことがありますか?」というトピックがありました。


http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0831/259967.htm?g=03


問いかけは以下の内容です。
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57歳、男性です。

最近また死後の世界をよく考えるようになりました。
「また」とは、もう随分昔、学生時代には毎日のように考えていました。今居るこの自分が消滅すること、もう自分の存在がなくなることの恐怖に耐え兼ねて毎晩電気を点けっ放しで眠ったことを今でもよく覚えています。この恐怖を当時の学友に理解してもらおうと、どんなに話しても分ってもらえず、死んだらもうそれで終わり、それまでだから、考えても仕方がない。殆んど皆がこんな返事で、取り合ってくれませんでした。

その時描いていた死後の世界は、文字通り何もない、存在しない世界だったから怖くなったんだと思います。以降徐々にそんなことは考えないようになり、この年になるまで深刻に考えるようなことはありませんでした。ところがまた良くこの死後の世界を考えるようになりました。きっかけは分りませんが、最近年の余り違わない人が立て続けに亡くなり、葬儀が続いたことが一番大きな要因と思われます。

死後に何らかの世界があるなんて私には気休めにもならず、全くそんなことは考えられません。それだけに恐怖なんです。こんなことを考えるのは私だけでしょうか?
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これに対し、たくさんの回答が寄せられていました。
問いかけが真面目で切実な内容だったので、回答も真摯なものが多く、
私は、現代日本人の死生観を知るのによい資料と思いましたので、これを一つ一つ読んでいきました。

回答は実にさまざまなものがありましたが、似通っているものもあり、とりあえず分類してみることにしました。
全部で112件の回答が寄せられました。
私は、「死後の世界はある」「死後の世界はない」という軸と「死ぬのはこわい」「こわくない」という軸の4象限にわけて分類を試みました。エクセル表に分類していきさらによく読みこんで、共通する意見をまとめ、以下のように表にしました。(クリックして拡大してごらんください)



回答内容のほとんどは、トピックを立てた人を励ますためか、死ぬのは怖くないという回答です。



怖くない&死後の世界があるという人たちの多数を占めるのは
「現世はあの世で次のステージにいくための修行/学び/魂を磨くための場」という考え方です。



現世の辛いことも悲しいことも、また利己的な気持ちを持たないことも、自分の魂を高める修行であるという高い倫理性を感じさせる内容です。
それらの人たちの感覚を表す言葉で、「(死後の世界に)還る」「光になる/風になる」という言葉が目につきます。つまり、死後の世界こそ、オリジナルな、かけがえの無い固有の価値があるというのです。




怖くない&死後の世界は無い、という人たちで、多数を占めるのは「死んだら無になるので、恐れる自分もいなくなる」という単純な考えです。そして「消えて無くなることに安堵感を感じる」というむしろ死後の世界が無いことを望む声も少なくありません。


また「今日一日を生ききることが大事。今この瞬間を大切に生きる。」という回答も目に付きます。死後の世界が無いと思う人は、決して刹那的/快楽的/利己的ではなく、一度きりしかない生涯を精一杯生きるというような高い倫理を持っています。

重要な違いのように見えるのは、「死後の世界在る」派は「魂を磨く」という考えを持っていることです。
自分の心を慈愛に満ちた、清浄で透明なものにしていくという発想です。
「死後の世界無い」派は、そのような発想がありません。死んで残すような財産はないのです。しかし二度と繰り返さないこの時を普遍的な価値あるものにしようとし、他者への奉仕や喜びを分かち合うことにも重きを置いています。

「魂を輝かせる」か、「今という瞬間を輝かせるか」の違いであり、価値の極大化を図ろうとする態度は同じといえます。
互いにその心情は理解できないにもかかわらず、もう一派の考えを受容することができるという構造を持っています。
同じ文化圏の中で両立可能であるということです。



これは、決して文化の矛盾や混乱ではなく、生きる価値の極大化という一致する価値観を持っているからであろうと思います。

次回は、「死後の世界」のいくつかのモデルパターンについて考察したいと思います。



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