2010年6月5日土曜日

西田幾多郎 「善の研究」を読む


お知らせ
今、展覧会の開催中。
関連ページ
次の展覧会
「米糊ペインティング」の意義


さて、今日の話題
難解といわれる西田の哲学だが
「感覚で世界を捉える」観点で読むとするすると入ってくる。

特に第2篇 第3章 実在の真景 には、なるほどと思わせるものがある。
「普通には・・(中略)・・精神と物体の両実在があると考えているが、それは凡て誤である。」
「事実上の花は決して理学者のいうような純物体的の花ではない、色や形や香をそなえた美にして愛すべき花である。ハイネが静夜の星を仰いで蒼空における金の鋲といったが、天文学者はこれを詩人の囈語《げいご》として一笑に附するのであろうが、星の真相はかえってこの一句の中に現われているかも知れない。」
「 万象の擬人的説明ということは太古人間の説明法であって、また今日でも純白無邪気なる小児の説明法である。いわゆる科学者は凡てこれを一笑に附し去るであろう、勿論この説明法は幼稚ではあるが、一方より見れば実在の真実なる説明法である。科学者の説明法は知識の一方にのみ偏したるものである」


知情意の合一、主観客観の区別ない「純粋経験」によって凡てを説明しようという西田幾多郎の基本的な態度は、感覚一元論を解く私の考えと元々非常に類似している。
また読むにつけこの哲学者の知的な誠実さには胸を打たれる。


「善の研究」は青空文庫より無料で読むことができます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/card946.html
http://my.reset.jp/~comcom/sozai/large/zennokenkyuu_ruby.pdf


にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ
にほんブログ村


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿