2010年6月8日火曜日

ヨーゼフ・ボイスのこと

自然-身体-精神-社会をつなぐ、ということを看板として掲げている以上、
ヨーゼフ・ボイスのことに触れないわけにはいかない。
彼のいう「社会彫刻」「拡張された芸術概念」もそうですが
結局私の目指すところはボイスのように社会の改革に通じています。
25年前に来日したボイスですが、バブル前の日本では
ボイスのいうことを理解できなかったようです。

いまやエコロジーが当たり前になり
NGOなどの非営利団体の活動が活発になった。
今、ボイスが昔言っていたことを具体的に考えることは難しいことではない。

また、こんなことをいう人もいる。
「晩年のボイスが考えていたのは、日常的な「労働」という営為をいかに「芸術」として捉えなおすということだったのではないか。それはそもそも彼が提唱した「社会彫刻」のひとつの完成型であり、「誰もが芸術家である」という有名なテーゼの実現でもあった。けれども80年代以降の産業構造の急激な変化はボイスのユートピアを追い越してしまった。今では誰でも(売れない)芸術家のように生きられることを強いられている。現在労働市場で最も求められているのは創造力やコミュニケーション力である。ボイスの夢は実現したけれど、皮肉なことにそれはユートピアではなかった。資本主義のしたたかさを考えるために今一度、80年代のボイスを思い起こすことが必要である。」社会学者/東京芸術大学准教授 毛利嘉孝氏
http://moonlinx.jp/headline/art/000681.php


80年代以降の産業構造の変化は、確かに資本=創造というボイスの思想を表したかのように見える。
資本主義は、人間の創造力を、資本の流れる方向に導き、資本のために使わせるのである。
だが、ボイスは創造者=革命家であるといったことも力説せねばならない。
ボイスの思想が実現したというには、骨抜きになって拡散したといったほうがいい。

今、革命家としての身体がどこにあるというのか、
身体は戦場であることを自覚しているひとが如何に少ないことか。
「創造者」は多くなったが「革命家」はいなくなったのだ。
「ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻」(人智学出版社)を読んだ。
その中の「生命体への参入」という講演を記録を読み直した。
革命家の内部で何が起こっているか、についての考えが述べられている。

ボイスについは数限りないサイト・記事があるが、私が本日見たなかではこのブログが一番ためになった。
http://hiroshi-s.at.webry.info/201002/article_1.html


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