「ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻」(人智学出版)に、
「生命体への参入」という1977年ドクメンタでの講演が収められている。
「私は三つの異なるものを調和させることを試みたい。すなわち生命体の概念、
革命家の概念、そして社会彫刻の概念である。」
ボイスはこの中で、創造する人(これをボイスは革命家という)が、どのように創造を生起し、
それを社会的に表すか、言葉をいくつも変えて繰り返し述べている。
社会彫刻とは、そのように社会的に現われた活動全体であり、このような活動の全体像を
「生命体」と呼んでいる。
貨幣は単なる権利調整物となり、利潤、所有、賃金依存などは消滅すると述べている。
確かに、現在の労働市場に創造性は最も必要とされることとなった。
しかしそれは、新しいビジネスを作り出すための創造性であって
人間が全存在をかけて取り組む創造ではない。
いまや、大なり小なり創造的であることを強いられる社会である。
IBMはいう「世界をスマートに」。
もちろんそれは目的ではなくて手段だ。
しかしあたかもそこには、世界をスマートにすることが
目的になってしまう危険性をはらんでいる。
もちろんIBMの目的は、世界をスマートにすることによって
自分が利益を上げることである。
巷ではビシネス思考法が盛んになっている。
ロジカルシンキング、クリティカルシンキング、はてはクリエイティブシンキング・・・
それはそれでスキルとして面白いのだけれど、
これは手段に過ぎない。
私たちはこのような2重3重の細紐に絡め取られいつの間にか資本主義的な身体を
作り上げられてしまうのである。
だまされてはいけない。
ボイスは言った「思考は彫刻である」と。
創造的思考、革命的思考は、革命的な身体、〈野性〉的身体をつくるのだ。
資本主義をメディアとして、手段として使いこなすには、
私たちは全員、「革命家」にならなければならない。
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