2010年4月25日日曜日
肉体こそが大きな理性
肉体は一つの大きい理性である。
一つの意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である。
私の兄弟よ、君が「精神」と名づけている君の小さい理性も、君の肉体の道具なのだ。君の大きい理性の小さい道具であり、玩具である。
ニーチェ「ツァラトゥストラ」手塚富雄 訳
ニーチェの慧眼には感服するばかりです。
私も肉体と精神の関係について、観察し、思索し、実践を重ね自分の精神や意識が、いかに肉体の条件に支配されているか、良くわかります。
それは、例えば体調の悪いときは気が弱くなるというような狭い話ではありません。
僕らが外界を捉えるやり方そのものが、私たちが備えている感覚器とその処理のしかたによって作られているものであるということです。
例えば、私たちは色を見ますが、実は自然界に色というものはありません。光の波長があるだけです。しかし私たちは波長500ナノメートルの光は緑、600ナノメートルは赤、というふうに小さな可視光線の範囲を微妙に区別して、豊かな色彩の世界をつくっています。そういった私たちの身体の感覚器とその処理の仕方は、最初から肉体に備わっていたのであって、私たちの精神の働き以前のものです。大いなる肉体の秩序です。
本当に、肉体こそが、巨大な秩序を持った本当の理性であって、私たちが「理性」と呼んでいる自分の精神は肉体の玩具ともいうべき小さな付属品に過ぎないのではないでしょうか。。。
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