認識は、意識されない肉体の活動の反映である。
ニーチェの言葉だったと思うが定かではない。
この言葉は、一見間違っている。
認識とは、意識されている筈だ。
私の目の前のキーボードも、マウスも、
座っている椅子も、意識されて初めて認識に上るのではないのか?
しかし、、。。どうだろう・・・・
マウスは硬いとか、キーボードが黒いとか、
それは、私の肉体の活動であり、肉体の感覚がそれを作っているのではないのか?
私がマウスを握って感じることは、少なくとも私の指の肉よりは、硬くて冷たいということだ。
それらのことは、私の肉体を通じて得られることに違いない。
そして、そのプロセスは、全く意識されていない。
私にとってマウスは、マウスとして突如として現われる。
世界は無尽蔵であって、私たちは肉体の活動によって、
その世界の一部を
認識の俎上に載せることができる。
だから、認識は意識されない肉体の活動の反映である。
枯れたと思っていたアサガオに芽が出た。
4ヶ月前
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