認識は肉体の問題だ、というニーチェの考えに僕は賛成します。
世界は脳の中だけで捕らえられるものではありません。
奇妙に聞こえるかもしれませんが、
米糊を手で紙の上に押し広げ、指跡をつけながら塗っていくことは、
自然現象と肉体と精神に、同時にかかわっていることだと感じます。
米糊のねたねたした感触、
食べられる素材であること
手で押し広げる身体の活動(手だけではなくてカラダ全体を使う)
盛り上がり、流れ、広がる、自然現象
自然現象としての肉体の活動、自然現象として精神の活動が
明確になります。これら要素の全部が直接つながる行為です。
つまり、このサイトの目的である
「自然-身体-精神-社会をつなぐ」 の前半3つがこれによって
出来てしまっているわけです。
私たちの意識は、
内蔵や筋肉や骨格や神経などの内部状況に、外部の状況を反映してできています。
意識はいくつかの異なった衝動の妥協的な産物なのであって
決して外部世界をただ映した、鏡のような意識はありません。
自分自身の肉体を離れて意識は作られません。
無意識の肉体の活動が、外部世界を反映するスクリーンなり、プロジェクタなりに
なっているわけです。
認識とは肉体の総合的な機能だと思います。
決して脳だけで作られるものではないし、
視覚だけで作られるものでもありません。
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