僕が米糊(ご飯糊)を塗りたくっているのはなぜだろう。
それは、大げさにいえば世界を認識する方法だからだと思う。
人間の認識は、意識だけで行われているのではなくて、
無意識の肉体の活動が反映されていると思うのです。
脳は、特別なもののように
思われていますが、
臓器の一つに過ぎない。
各種の臓器の無意識の活動が
認識を作っている大きな要素だと思うのです。
私は米糊を「塗って」いるのではない。
何かを「見て」いる。
「見る」ということは、網膜に入ってくる光の情報に意味を与えて解釈することです。
すなわち、見るということは、作っていることです。
光の代わりに糊があり、目の代わりに手でつくっているのです。
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