2010年1月2日土曜日
分子生物学的な私
私というものは、何なのか?
私というものは、結局は、何でも無いのでしょう。
私は、私でなくても良かった。
貴方でもよかったし
彼でも彼女でも良かった。
たまたま、私は私だったのです。
私は、2つの事象に漂う表層です。
一つは自然界の現象の中に。
・・・・多くの人は、自分は自然の一部であり、
自然に生かされているということに反論はしないだろう。
もう一つはゲノムの海の中に。
・・・人間のDNAは60億の塩基配列でつくられている。
だからそのパターンは4の60乗の数だけある。
書き記すことさえ困難な膨大な数です。
分子生物学は、このような(まだ実現していない可能性も含めて)
可能性の空間・可能性の生命圏を発見しました。
実に画期的なことです。
私とは、私の自我とは、
木の板に表されているように見える人の顔、
星をつないで形を作り星座に見えるようなもの。
ゲノムの中の一つの可能性に過ぎぬものに
仮想的な表象を与えられたものです。
もちろんゲノム全体の中で、実際に実現された塩基パターンは
(つまり実際に実在した生命は)極々少数に過ぎない。
だから、殆どのゲノムの可能性は、見えない暗黒として
深淵のまま横たわっています。
人間はそれを利用し、
遠からぬ未来に人工身体や人工生命体が実現するでしょう。
私たちは大自然の営みは畏怖と敬意をもって見つめるのですが
一方このゲノム空間ともいうべき大空間を、
あまりにも過小評価していないでしょうか。
もちろん、このゲノムというシステムを作ったのは
長い地球の歴史の進化の産物なのですが、
ゲノム自身はそれとは別の構造的な、広大な、
実現されていない未知の空間を作り出したのです。
自我というものは、表面に現われた薄い層で、その裏には地球の膨大な過去の
歴史があり、一方、それは未だに暗黒に満ちたゲノムの可能性に対して
開かれています。
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