2010年1月5日火曜日

自分で死を選択する時代へ


iPS細胞の出現によって、人工臓器の実現はより現実的なものになりました。
事故によって脊髄を損傷し、歩けなくなった人や
心臓や肝臓に病気をもっていて臓器提供者を待っている人のために
その実用化が一日も早くくることを祈らずに居られません。
自分の髪の毛や口内から取った細胞で、自分用の臓器を作ってそれを
移植すれば、もともと自分のものだから拒否反応はないし
ドナーの出現を待つ必要もない。
自分用の血液を作って保管しておけば、いざというときの輸血にも役立ちます。


さて、当然ながら、老化とともに衰える身体のスペアパーツとして
各種の身体を作っておくビジネスが開始されるようになると思います。

そうすると、人間はかなり長生きできるようになる。

でも、脳はどうか。

今、いわれているのは、記憶のバックアップをとっておいて
クローン制作した脳にその記憶を戻せば、脳もリフレッシュするというわけです。
まだまだSFめいた話ですが、かなり人間の欲望に訴える
(つまりビジネスとしては需要の大きい)ことなので、
近い将来実現する可能性はあると思います。

そうなると人間は死ななくなる。
カネで寿命を買えるようになるわけです。
千年くらい生きている人がざらにいるようになるかもしれません。
1万年生きる人も出てくるかも。
千年万年生きているとどうなちゃうんでしょうか。
人間、年をとると穏やかになってきて、豊かな人生経験から考えも柔軟になり
ものすごい人生経験と知恵がついて、
屋久杉のように神々しくなってくるかもしれません。

そういう人生の先達のような人相が、どうみても皺ひとつない20代の顔だったとしたら・・・・
これって、お釈迦様とか、仏陀とか、そういう人相に近くなってくるのではないでしょうか?

このように悟りきった人が、延命処置を延々と続けるとも考えにくい。
あるところで折り合いをつけて死を受け入れるようになるでしょう。

あるいは、責任感が強くて、もっとこの世で働きたい、
または好奇心が強くて、もっと自然界の謎を知りたいと思い、
延命処置を続ける人もいるかもしれません。
それはそれで生き生きとした人生を長く続けることでしょう。

なぜこんな話をするかというと、これもゲノムの可能性のひとつであるからです。
このような人工的な生、自然の摂理に反した新しい生の可能性。
それも生の在りようとして承認しなければならなくなるでしょう。

そして、人間は自分で生と死を選択するようになると思います。
「終わる」ということを自分で選びとること。
肉体の限界で仕方なく死ぬのではなく、死を受け入れるのでもなく
自ら「終わりにすること」に意味を見出し、積極的に死を選び取るということです。

これは「もし仮にそうなったら、その時の話さ」と仮想的な話ではなくて、
不死を手に入てなおかつ死に意味があるかという
究極的な生命倫理の問題です。

永遠の生といえば、ニーチェの「永遠回帰」を思い出しますが、
ニーチェは永遠回帰に耐えられる者として超人を想定しました。

永遠の生に絶えられるな倫理がない限りは、僕らの生の構造的枠組みであるところの
ゲノムの大空間に耐えられる生は築けないでしょう。

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