梶井基次郎は丸善で本を積み上げてその上に檸檬を載せ、
それを爆弾と称した。
彼のひそやかなテロは、彼自身にとってのみ有効であった。
「えたいの知れない不吉な塊」は、それによって吹き飛んだ。
だが、それは彼一人にとってのみ有効だった。
しかし今や檸檬は小説となることによって再生産されている。
現代、私たちは様々な社会基盤の上に生活し、それを利用しまたはそれに利用されている。
「えたいの知れない不吉な塊」は、ますます拡大する一方だ。
そもそも、現代の社会基盤は物語をもっていない。
住宅地には、主(ぬし)という大魚の住む沼も、キツネの出る松もない。
土地に物語がない。そのことは、土地が私たちの身体から遊離しているということだ。
私は土地にそして土地だけでなく、水道に、ゴミ処理施設に、インターネット回線に、
かけがえの無い物語を刻む。
物語が無い以上、自分で作るしかない。
かくしてインフラストラクチャに対するオペレーションが始まるのである。
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