前回は、感覚によって主客の分離を超越し
すべてを統一的に捉える試みについて話をした。
このことは、
主客に分離される以前の経験を説いた、西田幾多郎の「純粋経験」
また、すべてのものは同じものだと説いた荘子の「斉物論」に
よく似ている。
私の芸術は、それらのことを感覚の観点で実践しようとすることである。
だから私は直接的な経験、直接的な感覚を必要とする。
筆を使って何かを描くという間接的なことは、おそらくもうできないだろうし
あらかじめ絵の具として作られた工業製品を用いることもしないだろう。
筆と絵の具で描くことは、決定的に何かから遠ざかっていると
いわざるを得ない。
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