2009年11月22日日曜日

「境界で夢をみる」

前回、キツネにだまされる話を書いた。

キツネにだまされる時はどういう状況なのだろうか?

キツネにだまされるときは、人間は或る特別な時間・空間の中にいる必要がある。
あたかも蒸気のようにそこに包まれ、現実と夢の狭間のようなその場所に。

一人山道を歩く旅人が
娘に宿屋に招待され、お風呂に入る。(気がつくと川に入っている)
道端で饅頭を売っているおばあさんから饅頭を買う。(気がつくと馬糞を食べている)

どうやら幻覚、夢、催眠状態などと関連がありそうである。

だまされた人は大抵一人でいるときにだまされている。
人里はなれた山の中、人気のいない夜、または道に迷った時などに起こっている。
人間界と別の世界との中間地点、境界地点で起こるのである。

これはつまり
「境界で夢をみる」ということだ。


現代において、このような「境界」はどこだろうか。
人間界が広がったおかげで、そのような「境界」は日常の世界からだいぶ遠く離れてしまった。、
または忘れられたように片隅に追いやられている。


火星探査機が送ってきた火星の荒涼とした地表の映像を、眺めるとき。

http://buturit.dee.cc/kasei/Kasei_Tansa.htm#4

木星の気流のとてつもないスケールの大きさを思うとき





極微の世界の力学に思いを馳せるとき






あるいは、

高山に登って周囲を眺めるとき


夜明け前に自己の奥深くの記憶と向き合い、夜明けとともに現実の風景に出会うとき



そのとき、
私たちは、あの、時間が凍結したような、灰色の地点にいる。
過去も未来もない、あるいは過去と未来がすべて積み重なって投射されたような、その地点。
思考が停止し、あるいはもっと深いところで思考しているようなその地点である。
その蒸気、その雲の中にいる。



昔は、このような雲・このような「空間」・きつねにだまされる「空間」が文化的に確立していた。
人々には、きつねにだまされる「能力」もあった。

しかし最近、経済成長や開発が進み、いつの間にかその「空間」や「能力」が絶滅してしまったのである。

私は、その文化的「空間」や、「能力」を、現代の科学技術や感性と矛盾しない形で復活させたいと思っている。
そのためにこのメッセージサイトを始めた。
まだとても小さな力だが、やがて大きな潮流となり、文化の総体的な転換が行われることを願ってやまない。



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