2009年11月15日日曜日

キツネにだまされる空間

昭和40年以降、日本人がキツネにだまされなくなった。

哲学者の内山 節氏は、沢釣りが好きで全国いろいろなところに釣りに出かけ
宿屋や民家に泊めてもらって土地の人と話をしたそうである。
すると、キツネや狸にだまされる話が時々出てくる。

キツネにだまされるよくあるパターンは

饅頭だと思って馬糞を食べていた
温泉だと思って冬の川に入っていた

などのことである。

「それはいつのときですか」と聞くと、決まって昭和40年より前のことだという。

昭和40年、1965年といえば東京オリンピックが終わり、高度経済成長真っ盛りのとき。
農村から都市へ人々が流れ、農村の人口が減り、村の文化も途絶えた。
また農村も電化が始まり、暗い夜が急速に少なくなっていった。
人々の学歴も上がってキツネにだまされるなどという非科学的な話を信用しなくなっていった。

私の父に尋ねたところ、まあ、確かにそのころから変わったんじゃないかと同意していた。
父もキツネにだまされかかった経験があるという。

父が少年のころ、昭和21年だったそうである。
日照りの夏、家族で夜中に畑に水をやっていた。
夜も遅いので一人家に帰された。
月の無い闇夜である。父は家路の途中の桑畑で、不思議なものを見た。
40-50人の女学生が桑畑の中でワイワイ、ガヤガヤ遊んでいるのを見たという。
父は目の前の光景を何か不思議に思って、そこを通りすぎた。
あとで家族に話したところ
「キツネにだまされたんだ」といわれたという。

内山氏は、昭和40年以降、日本人に「キツネにだまされる能力」が無くなったという。
どういうことなのか。
かつて、自然と人間は一つにつながっていた。区別するものは無かった。
その中で人々はキツネにだまされながら生活していた。
ところが戦後、都市化、開発、文明化の波が押し寄せた。
森林のほうも里山から木材をつくる伐採林に変化していった。
それが自然と人間を分けた。
その臨界点がだいだい、昭和40年だったのである。

昔の人々が生きていた空間、その文化は、再現のしようがない。文字にもできない。

科学が発達した現代において、自然とつながるといってもあまりにも多くの条件に阻まれている。

だが私は、「キツネにだまされる空間」を現代に復活させたいと思う。
現代の我々の知識や、自然科学と矛盾しない形で、
キツネにだまされるようになる方法は恐らくあるのである。

次週は、その話題を取り上げよう。

日本人はなぜキツネにだまされなくなったか

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