科学がいう宇宙の始まりは
最初にビッグバンがあって
しばらくは、あらゆるものがぎっしりと詰まっていて、
あるとき急速に膨らんで、空間が澄み渡り、
光が動けるようになり、現在の宇宙の姿になっていった。
ものすごく簡単に言えばそういうことですけれども
それは現代の宇宙論がとなえる物理的な物語です。
私は宇宙の歴史を感覚の分化の歴史と捉えます。
最初に信じられないくらいの密度の感覚があって(原感覚)
やがて熱や圧力や広さの感覚に分化してきたわけです。
重力感覚や電磁気感覚も生じてきました。
さて、画期的な出来事は、生命の誕生です。
初めて感覚を体現するシステムが出来上がったのです。
そしてまた長い歳月が流れて生命システムの中に
もう一つシステムができました。意識です。
人間の誕生は、意識の誕生でした。
意識は、感覚の現前をまた再現前するというもので
その前にあったシステムを相対的に見ることができるので
自分の身体に対して、「私」と名付けることができたのです。
自意識をつくることができたのです。
そしてさらに最近もう一つシステムが出来ました。
社会システムです。
いまや高度に発達した資本主義システムは、自律した生命のようなものです。
このシステムに自意識がある、というとSF的な話しになるのですが
このシステムは内部の経済活動によって個々の感覚を表現します。
さて、生命システム、意識システム、社会システムと、
感覚は、”折りたたまれて”きました。
これは土地の私有制と同じようなものです。
本来だれのものでもないはずのものを、
あたかも自分のものであるかのようにしているわけです。
遍在しているはずの感覚が、閉じ込められ、
隔離されてきたのです。
感覚は意識システムから解放されるべきであり、
また社会システムからも解放されるべきなのです。
いまや我々は社会システムによって取り囲まれているので、
感覚を社会に譲り渡している状況です。
自分の存在感覚が希薄になっています。
これを存在論的搾取といいます。
奪われた感覚をとりもどし、
折りたたまれた感覚をバラバラに撒き散らさなければなりません。
意識や社会は必然的に生まれたものですが、
それに感覚を預けてしまうのは間違いで、
今は過渡的な時期にあると思うのです。
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