2011年1月30日日曜日

芸術家の社会的役割について

1月23日-29日の個展において、私は会場で文章を発表した。
以下に転載します。

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自然-身体-精神-社会をつなぐ     


        田島鉄也

 米糊に食用の竹炭を入れ、手で塗る。
 私はこの行為について、「制作」「ペインティング」「描く」などの言葉を使わないようにしている。
 これは、自然-身体-精神-社会をつなぐ、ダイレクトな行為である。
 私たちの身体は自然そのものであり、私たちの意図に関係なく代謝、呼吸、循環、排泄などの精緻な過程が滞りなく行なわれている。当たり前だと思っているが、考えてみれば気が遠くなるほど凄いことだ。
 それを表現しようとしたとき、私は既存の絵具は使えなくなってしまった。もっと身体に直接響くもの、食べ物を使うしかなかった。
 それを手で塗り、視覚的な形とすることによって、身体と精神をつなぐ。
 ギャラリーやWebサイトで発表することによって社会につなぐ。

 古代の社会では神話・儀式・祭など、自然-身体-精神-社会をつなぐ仕組みが首尾一貫した形であった。というのも自然の力が圧倒的だったので、人間は祈ることくらいしか出来なかったのだ。
 最近の100年、論理と勤勉の力で、人間は自然を分析し、効率的に養殖や栽培し計画的に資源を社会に投入できるようになった。
 衛生と医学知識の進歩によって、身体に対する考えも変わった。いまや健康診断が一般化し、コレステロール等の専門用語を用いて「健康」を物質の測定値から「管理」できるようになった。
 誠に結構なことだが、何かが失われているのではないか?私の心の本質が問うのだ。何かが違っているのではないか?人間は自然との直接的関係を失い、身体の居場所がさだまらず、精神が漂流しはじめている。
 自然は産業として利用される工場となってしまった。地球の温暖化が進んでいると報告されると環境問題が取りざたされる。しかし環境問題は重要だが、それは実は経済問題だ。基本路線は同じなのだ。
 自然に触れる旅に出たりする。しかしその必要はない。私達には身体があり、大いなる自然を持ち歩いているのだから。
 ガイアなどの新しいパラダイムが提唱される。それも必要ない。自分の身体で起こっていることを思えば自明なことではないか。

 私は、古代の人間が常識として持っていたことを改めて言い始めた。今は、芸術というワクの中での発言だが、いずれそのワクを超え出て人々の生活信条とも共鳴し、いつしかこの歪んだ社会が適正化されることを願うのだ。
 今わが国は、人々がどの方向を向いて良いのかわからず混迷している。私はあえて、内側を見るべしと申し上げる。自分達の足元をみつめ、自分の身体と自然とのつながりを意識し、土地や文化のつながりを意識し地域社会を再生すること。私は、この日本が、自然から社会へ一貫性をもってつながる世界で最初の社会になって欲しいと願うのである。

2011/01/25
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補足を申し上げる。

芸術には社会的な役割と、社会的な責任がある。
もちろん、芸術家は自分の好きなものを好きなように追求すればよいと考える方もいるであろう。
それはそれで結構。それは本質的なことだ。
しかし、多くの人が芸術に何かを期待し、沢山の地方で芸術祭が行なわれ、
そして(何と!)国家や自治体が少なからぬ予算を費やしているという事実を見ると
一体芸術家は何をすべきなのか、芸術家本人も少しは自覚したほうが良いと思う。

「いやそういうことはプロデューサーやキュレーターの役目だよ、そんな公務員みたいな芸術家がいるもんか。世間の目を気にして去勢されるつもりか」
と批判する方もあるかもしれないが、それは誤解だ。
私は「世の中のためになるアート」なんていう馬鹿馬鹿しいことを言っているのではない。

少なくとも自分が今どこにいて、どちらの方向に向かっているのか、芸術家本人も見定めておかなければならないだろう。

15年も前の話だが、コンセプチュアル・アーティストのローレンス・ワイナーのセミナーを受けたことがある。
講義の合間にベランダにいると、ワイナーがやってきた。
その時の私は、ミニマリズムのあとのニューペィンティング現象や、ポストモダンなどの流行を見て、現代美術が何をしているのかわからなくなっていた。


私が片言の英語で「多くの人が『芸術のための芸術』(Art for Art)をやっているように思える」と言うと、彼は言った
「No. Art for People」
(いや、人々のための芸術だ)

思わぬ回答に、私は質問を返す間もなく、次の講義の時間になってこの会話はそれきりになってしまったが、
以来、Art for people は私の中での課題となったのだ。



長い間かけて以下のように考えるようになった。



作品は1つのPと2つのCから成っている。

Concept (作者の意図。作品の核心部分)
Presentation(表現方法。芸術としての本質的なところ)

そして
Context:文脈(その作品を発表することの社会的な意味、作品を成り立たせている社会的な基盤)

多くの制作者はConceptとPresentationに圧倒的な時間をかける。Conceptを練り上げ、Presentationに命を削る。
しかし、Contextも、前二者と同様、絶えず批判を加え、再構築していく必要があるものだ。
Contextの中にはPeopleが大きな位置を占めるであろう。もちろん自分を含めてのPeopleなんですが。


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