2011年1月2日日曜日

聖なる一月

皆様
明けましておめでとうございます。

年があけて正月。
近くの環七を通るクルマの数も少ないのか、朝外に出ると静かだ。

ニーチェの「悦ばしき知識」第四書のタイトルは「聖なる一月」という。 まさにそんな気分だ。

新しい年に望んで。---なお私は生きており、なお私は考える。(ニーチェ「悦ばしき知識」第四書「聖なる一月」より 信太正三 訳)

さて、元日の日本経済新聞の1面の見出しは「先例なき時代に立つ」というものだった、我々はかつてない社会の内部からの変化に晒されている。

(以下は日経に載っていた内容とはすこし違うが、私が日本の社会的変化の特徴を上げる)
・類例を見ない少子高齢化、人口減。
・莫大な公債発行額
・年金・医療保険などの社会保障の崩壊に現実味
・無縁社会といわれる社会構造の変化
・新興国の台頭

日経の論調は、「日本は明治維新、戦後復興という2度の奇跡を成し遂げた。しかしそれはいずれも外圧によるものであった。初めての訪れた内部からの変化に3度目の奇跡を起こすことができるであろうか」
という内容で問題提起していた。

私の考えはまだまとまっていない。しかしその構想をたどたどしいながら記しておこう。

私は、ここで問題をとらえる軸を変えることを提案する。


行政を維持していくために、増税はやむをえないだろう。
しかしそのあと、社会のあるべき方向は、いままでと同じ路線ではありえないと思う。
人々が目指す方向を失い、停滞することが、社会の崩壊を招く。


明治維新、戦後復興も、モダニスムに沿った改革であった。はっきり言えば資本主義的な革命であった。
そして、モダニスムが行き詰った現在、モダニスムではない方向、先史時代に学ぶ方法を提起する。
自らの身体を見つめ、身体の文化に沿った方法である。
自然-身体-精神-社会を一本につなぐ仕組みを持たなければならない。
もちろん昔のものを復活させるのはナンセンスだ。
太古の時代は、神話、儀式、シャーマンなどがその役割を負っていたが、
現代では、生命科学、脳科学などが明らかにする生命や意識の姿がそのバックボーンとなるのだ。
そもそも今、人々がどの方向を向いて良いのかわからず、混迷していることが問題である。
私はハッキリと、内側を見るべしと申し上げる。
自分達の足元をみつめ、自分の身体と自然とのつながりを意識し、地域社会を再生する。
私は、この日本が、自然から社会へ一貫性をもってつながる
世界で最初の社会になって欲しいと願うのである。


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