2010年9月8日水曜日

神輿を担いだ -感覚で捉える 神輿論ー

生まれて初めて、神輿(みこし)を担ぎました。 隣町の祭りなのだけれど、子供がそこのお囃子に入っているので、 妻を通じて半纏を借り、股引き(ズボンみたいなもの)などを買って参加しました。
格好だけは決まったが・・・娘と2ショット

帯を腰骨の上から締めると、丹田のあたりが締まり、 体が安定して動きやすいです。なるほど、これが江戸の身体基礎か、と納得して・・・
重いのなんの・・・
さて、神輿を担いでみたものの、見るのとやるのは大違い。 重いの何の・・・。 肩はゴリゴリする。肩甲骨がギリギリと音を立て、軋むように痛む。 腰でささえ、足を使ってもちあげる。上下に弾みをつけるためにふくらはぎが痛む。 一人で担いでいたら5分ももたないだろう。 ところが、「ソイ!」とか「サー」とかの掛け声とともに皆で息をあわせていると 不思議に持つことができる。

ここのお祭りは途中で休憩しながら、午後1時から7時まで、何と6時間の長きにわたって町中を練り歩きます。こんなに長いのは珍しいのだそう。 真夏日なので汗だくです。 全員で息をあわせて神輿を上下に振ります。身体が接触する一体感。 そして祭りが終盤になると、無我夢中になるトランス状態。
この精神的充実感は、何者にも代えがたい。

いうまでもなく神輿は神の乗り物です。
大地を踏みしめ、神を背負って立つという象徴的意味。
神を担ぐという名誉。
痛みに耐えてグッと力を込めて持ち上げると、自分の身体をいやおうにも確認できる。
上から棒で押さえつけられるのを跳ね返すには、下半身の鍛錬が必要だ。
そして全員で息を合わせて持ち上げる、他人の身体もいやおうなく意識される。
何より、一歩間違えれば事故が起こりかねない祭りを、確実に実行する地元住民組織。
これこそ、私の思う、自然-身体-精神-社会の融合する場所である。

昔の農村と違い、いまや生活形態が多様化し人々は別々の仕事をかかえ、皆別々の事情を抱えている。しかし運良く私の家の近くの商店街では、この祭りが歴々と存続してきた。ベッドタウンと化した町や、過疎に苦しむ地方では、このような祭りを行うことは無理だろう。 この東京の一地域でおこなわれている祭りも、やや町の現実から遊離しているように見える。いまでも「村人総出で」という訳ではない。祭りを楽しんでいるのは、住民の中でも一部のようだ。
このような祭りの精神的な意味をより高め、真に現代に復活させるにはどうしたらよいだろうか・・・。

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