長い熟考の末、以下のように考えるようになった。
ゲシュテルと自然は、対立するものではなくて、互いに認め合い、補い合う、2つの巨大な生き物である。
自然とは、ゲシュテルの向こうに佇む静けさ である。
一般に、人間の技術文明は、自然に反するもの、と考えられている。
しかし、ゲシュテルが歴然と存在し、そして私たち人間がその中で生活し、完全にビルトインされている以上、ゲシュテルを否定的に考える必要はない。いや、そう考えるのは間違いだ。
ゲシュテルは生命であり、私たちはゲシュテルの中で生きている。
ゲシュテルは構造ニヒリズムではない。
ゲシュテルが科学技術の形態をしていたり、経済成長を促したりすることは、ゲシュテルにとっての単なるエサであり、それが問題ではない。
ゲシュテルの活動そのものが生成そのもの。生命活動そのものだ。
もちろん自然の活動も目的も用立てもなり生成そのものだ。
この2つは同じだ。同じ材料、同じ物質で出来ている。
もちろん私の身体も同じだ。
私は自然であり、そしてゲシュテルである。
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