2012年3月31日土曜日

ハイデガーの技術論3

自然-身体-精神-社会 をつなぐことを目指す私にとって、ゲシュテルの解釈は非常に重要だ。
長い熟考の末、以下のように考えるようになった。


ゲシュテルと自然は、対立するものではなくて、互いに認め合い、補い合う、2つの巨大な生き物である。




自然とは、ゲシュテルの向こうに佇む静けさ である。



一般に、人間の技術文明は、自然に反するもの、と考えられている。
しかし、ゲシュテルが歴然と存在し、そして私たち人間がその中で生活し、完全にビルトインされている以上、ゲシュテルを否定的に考える必要はない。いや、そう考えるのは間違いだ。


ゲシュテルは生命であり、私たちはゲシュテルの中で生きている。
ゲシュテルは構造ニヒリズムではない。
ゲシュテルが科学技術の形態をしていたり、経済成長を促したりすることは、ゲシュテルにとっての単なるエサであり、それが問題ではない。
ゲシュテルの活動そのものが生成そのもの。生命活動そのものだ。
もちろん自然の活動も目的も用立てもなり生成そのものだ。


この2つは同じだ。同じ材料、同じ物質で出来ている。
もちろん私の身体も同じだ。


私は自然であり、そしてゲシュテルである。


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