2012年3月13日火曜日

ハイデガーの技術論1

ハイデガーの「技術論」を読んでいる。
昭和40年に訳本が出た、ハイデガー選集 小島威彦/アルブルスター 共訳である。


非常に難解だ。
しかし、驚くべきことが書いてある。
現代の技術(自然や人間を役に立つように挑発する、現代の科学技術全般)の本性が、芸術の領域であると結論つけている。


「・・・私たちはおののき見入る。何の前にか。一つの可能性を前にしてである。すなわち、全面的に技術の狂奔が腰を落ち付け、その果ていつ日かあらゆる技術的なるものを通して徹底的に、技術の本性(ヴェーゼン)が真理の出現のうちに成存(ヴェーゼン)するにいたるであろう可能性の前に。
技術の本性はなんら技術的なことがらではない。それゆえ、技術への本質的な思念も、また技術との決定的な対決も、一方では技術の本性と類似しながらしかも他方では根本的に相違している領域のなかで、生起しなければならない。
かかる領域が芸術なのである。・・・・」


技術の本性は、技術的なことがらではなく、芸術的なことがらであるとハイデガーは言う。
もちろん、ある種の技術が優れている様を、芸術的と比喩的にいっているのではない。


技術の本性が、芸術領域なのである。




現代の地球全体を覆っている資本主義的技術文明がの本性が、無力に見える芸術の領域と同じであるといっているのである。


さて、ハイデガーの技術論は、もっと読み込みが必要だ。
次回以降、さらに詳細を書いていこう。






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