2011年4月29日金曜日

美しい新緑をどうやって表現したら・・・・




この美しい新緑を、どうやって表現したらいいのだろうか。
私がここでいう表現とは、単に伝える、ということではなく、
自分が感じている様子を、現実の物体として表しだすということです。


緑色の絵の具を使って、紙やキャンパスの上に描くということは、違う気がする。
あの葉脈に水分が流れる光輝く木の葉と、工場で作られた妙な匂いのする緑色の絵の具とは何の関係もない。


岡本太郎はこんなことを書いている。
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 私はいわゆる美術品に興味がない。芸術家でありながら、展覧会に行ったり、画集をひらいて見るなどということは、むしろ苦痛だ。それは狭い枠のなかに窒息してしまっている。なにか惨めな気がする。
 人間の生活はいつも全体であり、幅いっぱいにあふれ、ふくらんでいるはずなのに、その一部だけを引き抜いて固定し、形式化して味わうのだ。白々しい。

「美の呪力 Ⅰイヌクシュクの神秘」
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私も同じ考えだ。
芸術である、ということ自体が、敗北なのである。

できうるならば、私は新緑そのものでありたい。あの瑞々しい葉脈を張り巡らした若葉そのものとなりたい。
であるならば、若葉を客体として観察し、色や形を描き写すということが、いかに空しい作業であることか。
私は若葉そのものとなって独白したいのだ。それが完璧な表現となる。
いや、それは違う。
そのときは、すでに独白をする必要はないであろう。表現をする必要はなくなっている。

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