2009年10月21日水曜日

心のありか

この前のブログで、「心なんて無い」ということを書きました。
読んだ方は、この人は無味乾燥な物質的な考えをもっているのではないかと受け取られたかもしれません。
しかしそうではありません。
私自身の強烈な体験から、そう結論したのです。

私は中学生くらいのときに、神経症を患いました。今では「パニック障害」という言葉でいわれているもので、最近では長嶋島一茂さんが、その病気の体験を語っています。
私の場合は、乗り物に乗れなくなってしまうというものでしたが、長嶋さんもそうだったようです。

この病気の特徴は、発作を起こすと過呼吸になって気分が悪くなり、ひどくなると気を失うというものです。私は気を失ったことはありませんが。
この病気は心の使い方が適切でないために起こります。
発作はなぜ起こるのかといいますと、
不安な気持ち、いつ不安発作がくるかわからない不安な気持ち。それに気持ちを集中してしまうとますます不安になり、心臓が高鳴り、呼吸があらくなり、そして発作がおこる・・・・
つまり、「発作がおこるのが怖い」という気持ちによって発作がおこるのです。
この矛盾。。。

私は、森田正馬という人が創設した療法で直しました。森田療法の特徴は、「あるがまま」ということです。なんのことはありません。
不安があってもそれがあるがままにして、日常生活を送れというものです。
不安があってもいいのだ。たまに発作が起きてもいいのだ。それで生活ができればいい。いつのまにか不安は消えていく、、、というわけです。
しかし乗り物に乗らなければならないときは・・・・大変です。・・森田療法ではそれを「恐怖突入」といっています。
恐怖に突入し、目的を遂げる。この場合はたとえば、電車に乗って目的地にいき帰ってくる。それだけのことです。しかし神経症の人にとっては、命を掛けた戦いなのです。

こうして、私は何度も恐怖突入し、そのたびに悲壮な決意と覚悟をもって目的を遂げてきました。何年もかかって、やがて症状は緩和していきました。

私は学びました。心には実体がないのだ。不安や恐怖には実体がない。あたかもそれが実体であるかのようにそれを凝視すると、ますます不安になり、ますます恐怖が大きくなり、自分で制御不能になるのです。

人間は怒りのために人を殺したり、悲しみのあまり自殺したりします。そのような極端な行動をとる契機として感情が語られるとき、あたかも感情が実体であるかのように語られます。そうではない。感情に基づいた行動をとるから、それが殺人や自殺という実体となって現れるのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿