2012年12月24日月曜日

1950年代と3・11後の現在の身体表現の共通性

東京国立近代美術館で開かれている「美術にぶるっ!ベストセレクション 日本近代美術の100年」を見てきた。

特に第2部「実験場 1950s」が興味深かった。
戦後日本の作品の中でも最重要といわれる河原温の「浴室シリーズ」全作品が展示されていたのをはじめ、鶴岡政男の「重い手」など戦後の肉体表現が展示されていたコーナーがあった。

私は、これまで、戦後の肉体表現がなぜこれほど人体を歪めて描いているのか、よくわからなかった。特になぜ河原温の「浴室シリーズ」が、衝撃的な作品だったのか、理解できなかった。

しかしちょうど今、菊畑茂久馬の「虚妄の刻印 1950年代美術」を読んで、それが理解できた。(「戦後美術と反芸術」に収録)
50年代の美術はどこから何が始まったか。50年代美術は「肉体絵画」から始まったのである。福沢一郎「虚脱」(1948年)、「敗戦群像」(1948年)、鶴岡政男「重い手」(1949年)「夜群像」(1950年)、麻生三郎「ひとり」(1951年)、阿部展也「飢え」(1948年)、「神話」(1951年)・・・・・・頭に浮かぶまま並べてこのあたりで止まった。何かしらともなく一種おぞましい気分が漂ってくる。逃れようもなくわれわれ戦後思想の祖型である。どれもこれも、どろどろ、うねうね、うめき、苦しみ、転がされた「肉体絵画」である。
(中略)それよりも何よりも、気持ちが悪いほど戦争末期の玉砕死闘図と似ている。そしてこの二様の肉体虐待絵画は、戦中のはみな服をつけているが、戦後のものはみな裸んぼである。何故だろうと思ったがわからない。
(中略)絵描きはすべてこの期、戦争を通過してきた己の傷ついた精神を、まず肉体という皮袋の中身を取り替えることで癒そうとしたのである。
(下線は田島)


この文を読んだときに、私は膝を打って納得した。今回の東京国立近代美術館の展覧会では藤田嗣治の「アッツ島玉砕」もあった。私もその迫力に眼を見張ったが、それと同じなのだ。
(ちなみに「戦後のものはみな裸んぼ」の答えは明白である。戦争画は軍服をつけていなければならないからだ。戦後の絵画は肉体性を強調するため、裸でなければならない。服をつけること自体がよそよそしいからだ。)

戦争に打ちひしがれ、雨あられと爆弾を落とされ、どうしようもない暴力によって引きちぎられた身体を、画家たちは率直に表現したのだ。この文脈の中に、「浴室シリーズ」も位置づけられる。この絵の中の密室のバラバラ死体は、むしろスタイリッシュに洗練されているともいえる。
人間と国家(戦争)という近代的な装置との抜き差しならない関係において、人間という生身の身体の側から表現すると、どうしてもそのような「どろどろ、うねうね、うめき、苦しみ」ということになる。


さて私は、1950年代と現在に、何かの共通点を見出したいと思っている。

3.11後の身体の表現は、どのようなものになるだろうか。
津波に飲まれる建物やクルマを強烈に脳裏に焼き付けられ、その後の放射能の見えない不安に曝され、一方情報化社会が進行し、肉体は分子のレベルで治療法が開発され、グローバル経済は我々の生活を直撃するほど身近になった。
1950年代の時点では、戦争は肉体を外側から痛めつけるものだった。とにかく戦争は外からやってきていた。
しかし今、巨大な装置は我々の内部にある。それと一体になっている。

手に負えないほど巨大なものが、我々の身近に・・・いや我々の内部から・・・いや、我々自身が、その手に負えない巨大なものと一体になっているこの現状を正しく把握しようとする者は少ない。

この時代の身体の表現は決して人間の姿をしていないだろう。
私は今、そのことと格闘しているのだ。



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