2010年10月10日日曜日

虫は痛みを感じているのか?

例えばゴキブリに殺虫剤を吹き付けると
いかにも苦しそうにバタバタしている。
しかし、本当に「苦しんでいる」のだろうか?
苦しみを感じているのだろうか?

例えば雨上がりのアスファルトに、ミミズが這い出てきて
途中で乾いてしまい、のた打ち回っているのを
目撃することがあるが、
彼らは「苦しい」のだろうか?

彼らには痛覚を司る器官はないし、神経回路は単純で
「意識」があるようにも思えない。

脳を切り落としたカエル(脊髄カエルという)の背中を
硬いピンセットで刺激すると痛そうに後ろ足で払いのけようとする。
これは脊髄反射の典型的な実験として広く知られている。
脊髄カエルが激しく反応するのは単なる反射であって、
脳がないのでいわゆる「痛み」を感じているのではない筈だ。

科学的な解釈によれば、殺虫剤をかけたゴキブリも、乾きにのたうつミミズも、
激しく動くのは「反射」の類であって、「痛み」や「苦しみ」とは関係ない。
ただ、私たちが「痛そうだ」「苦しそうだ」と勝手に解釈しているにすぎない。

■ ■ ■ ■

しかし、本当にそういえるのだろうか?
本当に、「痛み」や「苦しみ」はどこにも存在しないのか?

奇妙なことをいうようだが、かれらゴキブリやミミズが
痛みと苦しみを感じる能力がないだけなのであって、
痛みと苦しみそのものは現にそこにあるのではないだろうか?


人間が80℃の湯に手を入れると熱いのですぐ手を引っ込める。
しかしもし80℃の体温の生き物がいたら、兆度いいと感じるだろう。
100℃の体温の生き物がいたら、冷たいと感じるだろう。

共通するのは、温度という物理量の感覚であって、
相違があるのは快か不快かの解釈である。

薬剤の浸透によって神経が麻痺する感覚や
水分の不足による身体の機能不全の感覚は
生物機能の危機=「苦しみ」という全生物にとって共通のものである。

それをリアルな苦しみとして心の中で表現するかどうかは、
その生物の感覚の内的表現能力によるのである。


現象とともに感覚は普遍的にそこにあるのであって、それは意識の明瞭さには依存しない。
しかしそれをどう内的に表現するかは、体験者の能力による。

だから虫は全身で痛みを感じている、ともいえるし、何も感じていないとも言える。


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24 件のコメント:

  1. ヒトが少しだけ高度な神経細胞の集合体である脳を持っているからといって、自分以外の動物に痛みが無いというのは明らかな間違いであり、侮辱しているとも考えられます。

    では、なぜ、のたうち回っているのでしょうか。ではなぜ彼らは結婚相手や餌を探しているのでしょうか。それが例によって、「本能」だとでもいうのでしょうか。粘菌という極めて原始的な生き物も迷路を通り抜ける事ができる知性をもっているのです。

    確かに、昆虫は痛みを感じないと習う事はあります。しかし、田島様ともあろうかたが、このようなことを書くとはおよそ信じられません。

    それとも、単なる問題提起なのでしょうか。

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  2. それと、先日、寿司屋でいけすからタイをすくって、それをまな板の上で暴れるのをおさえて、包丁で殺して料理にしているのを見ました。

    半身となった鯛も暴れていました。痛みというか、それ以上の死を迎えていたのです。私はそれを食べました。

    命を考える上で、そこに息子がいればよかったと、思いますが、こどもたちに一生会えないので、それもはかない夢のようです。

    鯛は殺されるためにあのいけすにいたのでしょうか。皮肉を言っています。

    返信削除
  3. 「痛みの感覚」は普遍的なものですが、「痛みを痛みとして感じること(表象すること)」とは別のことだと思うのです。
    痛みを痛がる、痛みを表象する、ということは、一つの内的表現であり、内的な世界解釈だと思います。ミミズがどのように痛がっているのか?ミミズをとりまく粘膜に、乾いた土や砂がこびりついたとき、ミミズ自身がどのように感じるのか?アイロンを押し付けられたようなのか?クリのイガを押し当てられたような感じか?
    のたうち回っているので、強烈な、強度があると思います。しかしミミズがそれをどのように内的に具体化しているのか、私にはわかりません。
    私が言いたいのは感覚の普遍性です。肉体があって、感覚器があって、痛いのではなく、痛みの感覚自体が先にあり、それを解釈し内的に表現するのは体験者である、ということです。

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  4. なるほど、理解しましたが、それは患者さんの痛みを知る事ができない歯医者さんと似たようなことに感じます。

    痛みがあるから暴れているのであり、同じ感覚ではないとしてもそれは苦痛によるもがき苦しんでいるに違い有りません。そこが仮に同じだとしても、あるいは違うとしても、命のある生き物としての尊厳はあると思っています。

    相手がペットであろうと、食べ物の対象だとしても基本は同じ生き物だと思うのです。ですから私はWhat is Life?をやっていられるのです。

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  5. 自分がミミズであると、深く想像してみましょう。私は土の中にいます。肺はなく、皮膚で呼吸します。息を吸ったり吐いたりするわけではありません。上も下も右も左も全て湿った土に覆われています。頭の方にある土を口から取り込みます。体幹を貫く腸の中をゆっくりと土塊が通っていきます。視覚はありません。手も足もなく、体節を弛緩、収縮させて前進します。身体が大きくなると、体に変化が生じ、前と後に分裂します。私は2人になります。または別のミミズに接触すると、前後逆に交接し、精子を交換し、卵を体表に設けます。

    「ミミズである」とは、どういうことなのでしょうか?
    これら一連の生活は、快なのでしょうか、不快なのでしょうか?それともそのような言葉では言えないような類のことなのでしょうか?
    言えそうなことは、土と一体であり、土そのもののような心境であるのではないか、ということです。自分の外側も内側も土と共にいて、土そのものではないか?
    自然-身体-精神-社会をつなぐことを目指す私としては、一つの理想であるわけです。

    水族館などでクラゲやイカが水中に漂っているのを見ると、彼らは人間には及びもつかない悟りきった境地にいるのかもしれないと、ふと思うことがあります。カントの哲学など足元に及ばないような状況なのかもしれないと・・・
    現代にあっても禅寺では多くの禅僧が悟りを得ようと努力しています。しかし彼らミミズやクラゲは最初からそんなことをする必要はないのではないか?
    知性というものは、実は最初から完成していて、生物種ごとにバリエーションがあるだけであって、人間などは無駄に複雑で未完成なのではないか?
    「個」とか「我」とか「内と外」、「時間」というような、私たちが当たり前すぎて何の疑問も抱かないようなことでさえ、ミミズには通用しないのかもしれない。最初からそんな問題はないかもしれない。ミミズは、私たちが思ってもみないような、全く別のスケールを持っているのかもしれない。
    ミミズにとって死はどのような意味があるのか?それは私の想像を絶しています。私は、ミミズがどのような心境にあるのか、決めることはできない。痛そうだ、苦しそうだと思っても、それは私がそう思うだけであって、彼らがどう感じているのか(「感じる」という言葉が当てはまるのか?)結局のところ、わかりません。彼らが身体を損傷され、何かの強度に身を晒すとしても、人間がいうような「痛い、苦しい」というものと、類似しているとは軽々しく言えません。
    ミミズになることができればそれを経験できるかもしれませんが、人間の認識スケールを持った私がミミズの身体を持ってそれを理解できるのか、甚だ疑問です。
    他の生物種の知性や文化(ここでいうのは身体機能や生態を含めた広い意味での知性や文化であり、痛みや快感というような強度体験も含んでいます)が、人間にとって必ずしも思慮の範囲にあるとは言いがたいのではないか?哺乳類くらい近ければ何となく分からなくもないですが、ミミズくらい離れると人間の認識範囲の外にあるかもしれません。

    ちなみに私は路上に出て困っているミミズを拾って土に帰してやることを良くやります。彼らが苦しんでいるかどうかはわかりませんが、人間である私が(勝手に想像して)苦痛に感じるからです。

    返信削除
  6. ミミズが私たちと違う感覚器官や体構造を有している事、私たちも野生と一体である事、それは本も読みましたので理解しています。しかし、私が常日頃から主張している「私たちは特別ではない」という考えがございます。そして田島様の一体であるという事、それも分かります。しかし、どうでしょうか。クラゲを見たときに、彼らが悟っていると感じるのは感傷的な気がいたします。なぜなら、彼らも生存競争にあり、単に生息域から捕まってきて、ヒトに飼育されているに過ぎないのです。

    もちろん、自然界で生きるのと、水族館で生きるのはどちらが幸せなのか、それは彼らに聞いてい見るまで分かりませんし、ソロモンの指輪はないのですから、それは無理でしょう。

    ヒトだけが不完全というあるいは未完成というお考えも、私たち自身を特別視している現れだと理解しています。私も苦しんでいるミミズを助けますし、その一方で、こどもたちにはそれを捉えてカメに食べさせる事もしています。

    ちょっとぞっとすることもありますが、それは教育だと思います。

    生きる事、真剣に生きる事が修行であり、お寺にこもる事が必須だとは思いません。ヒトは考えることが出来ます。そして礼節を重んじ、他を理解し、自らを変える事ができる生き物です。

    否定する訳でもないですし、こうして私には思いもつかない観点でお考えをお示しなさっていることを大変尊敬致します。

    私の主張の埼大のポイントは私たち自身が特別なものではなく、仮にそうだとすると、それは自己評価なのだということです。

    返信削除
  7. 「クラゲが悟っている」というのは、自分ながら奇妙な言い方だなと思いました。

    私は物質や生命よりも前に感覚があったと考える、いわば「汎感覚論者」であり、
    最初に単一のエネルギー体に相当する感覚があって電磁波と物質に別れ、その後、分化に分化を繰り返して
    生物が誕生し、それぞれの生物種は、それぞれに適応する狭い領域の感覚的居場所を見つけ出すように進化した
    という仮説を考えています。

    なぜ、そんなことを考えるかというと、科学と神話を統合させたいという狙いがあるからです。

    神話は世界創世の謎を、独特の感覚的な言葉で綴っています。
    長い時代、人間は神話を頼りに自然-身体-精神-社会を一本につなげてきたのですが、
    一方ここ百年で興隆してきた科学は、実験・実証が全てで、定量性を重んじ、感覚を排除してきました。
    どうも、ここが問題の根本のようです。
    科学、そしてそれが強力に後押しするところの資本主義社会は、自然と人間の祈りの関係を破壊し、
    即物的で無味乾燥な関係を作ってしまいました。
    一度唯物主義に振れた軸を、感覚のほうに呼び戻さなければならないと思います。
    もちろん、昔の神話を復活させるのではなく、科学が明らかにした豊富な事実をもとに感覚的に読み直すという
    方法を通じてやっていくしかないと思います。

    ミミズの感じ方、アメーバの感じ方、バクテリアの感じ方、ウィルスの感じ方、赤血球の感じ方、
    生物のみならず、水蒸気の感じ方・・・奇妙な言い方になってきたので「水蒸気の感覚」と言い換えましょう。
    枯葉が落ちる重力の感覚、砂粒がこすれて磨り減る感覚、大気の感覚・・・・などなど・・・
    宇宙に満ち溢れる感覚は、途方も無いわけです。

    とにかく最初の「原感覚」ともいうべきものは、計り知れないほど物凄いものであって、
    ミミズには、先にある「計り知れなさ」につながる架け橋になっていて欲しいのです。

    それぞれの生物種は狭い窓からそれぞれの感覚世界をみているわけで
    だから、私は人間とミミズは感じ方が違っていて欲しいのです。
    (しかし、一つの感覚から分かれてきたのだから、その意味で「同じ」だとも言えるのですけどね。)

    だから私の主張には、ミミズやクラゲの感じ方と人間の感じ方は違っている筈だ。
    いや違っていてほしい。違っていると思いたい・・・という背後的欲望が働いています。

    ちなみに人間そのほかの動物は、「意識」に「感覚」を「表象」することができるようですが
    これも進化の過程で獲得した生存戦略なんだろうと思います。つまり、一度痛い目にあったら、同じことをしないようにしようというような・・・
    自我(自分であるという感覚)も、ずいぶん後のほうで作られた、付属物みたいなものだと思います。

    返信削除
  8. 1、宗教と科学の根本は「真理の追究」(ヒトはどのようにして生まれたのかなど)だという考えは私もコンタクトという映画を見て知りました。

    2、ヒトと同様に賢いチンパンジーあるいは犬でも良いですが、心を通わせられると思いませんか?ではどこまで下等動物までそれが可能でしょうか。脊椎動物まででしょうか。それも考えてみたいです。

    3、科学の発達はそうした意味では自然を敵に回しているようです。しかし、その恩恵も一方ではあり、私もきちんと育ってきた事も恩恵なのです。

    4、科学を悪と捉えるのでも良いのですが、少し私の方にも歩み寄っていただけませんでしょうか。自然と同体であることは、いつも肝に銘じております。それこそが魂の起源かも知れませんね。

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  9. 科学が興隆することは大いに良いことだと思います。私は科学が好きですよ。
    ただし科学のほうが圧倒的に興隆のスピードが速く、しかも科学と神話(感覚)をつなぐ概念がないので、
    科学のほうに大きく振れた現代文明をブランコのように感覚のほうに引き戻すことが必要だと思っています。
    -----------------------------------------

    さて、長い間議論してきましたが、私にはまだ謎があります。
    話を元に戻すようで申し訳ないですが、
    ゾウリムシにも感情があるという貴方の主張について

    1、貴方は本当にゾウリムシに感情があると確信しているのですか?
    つまり、ゾウリムシに人間と共通する感情が表象されている(内部的に表現されている)という確かな根拠をご存知なのですか?

    2、もしその根拠を明確に示すことができないとすれば、
    貴方は、「全ての生き物は同じである」という世界観によって、
    「ゾウリムシに感情があると思うべきだ」という倫理的欲望に基づいているのでしょうか?
    正直いうとそういうのも在りだと思います。世界の見方というのは、自身の世界観に基づいています。
    例えば、私は私の世界観によって「ゾウリムシの感じ方は計り知れない」と考えたいわけですから。

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  10. いえいえ、これは議論するべき大事なことです。

    1、ゾウリムシに感情はあるかということですが、それが気持ちという私たちがもつものとは異なる感じ方の感情があると考えています。

    遺伝子を引き継ぐことを目的とした全ての生物は性の有る無しに関わらず、電子のやり取りや、物質の移動、タンパク質の合成といった生理活動に支えられています。

    つまりそこに何も感じる事の無い、いわゆるロボットあるいは、物質という捉えかたは困難な考え方だと思うのです。それが理解できない、あるいは想像できないのは、田島様がゾウリムシではないからです。

    私は神様がどうしたとか行っている訳ではないのです。そうではなくて、仮にそれが動かない植物の種であったとしても、そこには新たな春を待つ仕組みが備わっていて、気持ちが存在するという尊厳をそこに与えてあげたいと考えるのです。擬人化ということともそれは異なります。

    そうした考え方では、動き回る大腸菌などなおさらです。よく大きな魚に飲み込まれそうな魚は動きが止まり、まるで死を覚悟したように見える事がありますが、それと同じ事が田島様に起こったとしたらどうでしょうか。私はもしかしたら同じように、心の中でこどもたちに語りかけるでしょう。

    感傷的になりがちなこの秋にそれを論じると非科学的といわれるかも知れませんが、きっとあなたも先ほど生き物の死骸の集まりから構成される食事をしたことでしょう。

    生き物にそうした差別は私はするべきではないと考えます。つまり、根拠は彼らあるいは彼女らが生き物であるということが証明するまでもないからに他なりません。

    2、次に、1でもご理解できなかった場合の説明を付け加えます。あるべきだという倫理観(田島様が仰るサミぃの考え方)と、同じではない何か別のものがあり、それは感情とは言えない(田島様の主張)という一見異なると思われるものが実は全く同じ事を言っていると、私は考えるのです。

    3、このコメント欄は文字が小さいので、もしよろしければWhat is Life?にもお越し下さい。もちろんここで続けるのでもいいのですが、、。ま、宣伝もかねてますm(._.)m

    返信削除
  11. 貴方の考えを理解するために、文章を論理的に補い、客観的事実を述べた文(命題)と主観的な意見を述べた文(非命題)に分けてみました。
    ニュアンスが失われてしまいますが、議論しやすくするためなのでどうかお許しください。


    命題

    (1)ゾウリムシの持つ「感情」は人間の感情とは異なる。(ゾウリムシなど微小な生き物が持つ人間とは違う心的表象を「感情」と記す(田島))

    (2)遺伝子を引き継ぐことを目的とした全ての生物は、物理的な生理活動によって支えられている。

    (3)そのような生理活動をする生物には、ロポットや物質のように何の心的表象もないとは考えがたい。

    (4)微小な生き物に「感情」があるという主張の根拠は、彼/彼女らが生き物であるということである。これは証明するまでもなく、自明である。



    非命題

    (5)植物の種には、新たな春を待つ仕組みが備わっている。私(サミィ)は植物の種に「気持ち」が存在するという尊厳をそこに与えてあげたい。

    (6)大きな魚に飲み込まれそうな魚は動きが止まり、まるで死を覚悟したように見える。それはまるで、人間が死の直前に自分の子供を思うのを連想させる。

    (7)生き物の死骸の集まりである食事をすることは、生物の「感情」「気持ち」を理解する機会である。

    (8)微小な生き物に心的表象がないする考えは差別である。そのような考えは持つべきではない。


    さて、
    命題(1)は、否定もできませんが、証明もできません。
    命題(2)と(3)は論理的に飛躍しています。生物は物質の現象である(2)、ゆえに心的表象がある(3)。この2つをつなげるためには、物質現象と心的表象の関係を示さなければなりません。
    (4)は「微小な生き物に「感情」がある根拠は、それが生き物だから」という文であり、意味を成しません。

    サミィさんが考える「ゾウリムシに「感情」がある」ことの根拠は、非命題(5)(6)であるように思えます。しかし(5)(6)は主観的意見です。

    残念ですが、貴方は「ゾウリムシに「感情」がある」ことの、誰でも納得できるような根拠を示すことが出来ていません。

    それは、それでいいんです。
    命題/非命題が混合された世界観を示すことも在りですから。命題(事実)だけの世界観は魅力がない。

    そこで、世界観の価値を決めるのは何かというと世界観の有効性です。その世界観に従ったほうが、より生き生きと、豊かになれるという説得力です。

    最初から「ゾウリムシに「感情」がある」と決めつけるのではなく、
    “ゾウリムシに「感情」があるという証明はできないが、「ゾウリムシは何も感じていない」という機械的な、殺伐とした自然観よりも、「ゾウリムシは何かを感じている」と考えるほうがより豊かな自然観をつくることができる。”
    と主張し、(5)(6)(7)のようなことを例証として掲げると、より説得力ある魅力的な主張となるでしょう。もどかしいかもしれませんが、そうするしかありません。
    貴方は生物学者ですから、一般人では経験できない日頃の実験の体験の中で、(例えば)「この大腸菌は何かを感じているに違いない」と確信することがあると思います。
    そのような体験的な例証を数多く発表していくことで、より説得力が増していくでしょう。
    さらに、現代の農業、畜産、養殖漁業などの産業構造や、医学、現代人の心の問題も扱うと貴方の世界観はより深くなっていくと思います。
    実証的な事実だけで世界観は成立しません。むしろ主観的な思い込みも必要です。ただ、この2つは(少なくとも貴方の中では)明確に分けておかないと、聴いている側が混乱します。
    期待しています。


    ところで
    差別という言葉は、近代の人権概念から発生したもので、本来人間に対して用いる言葉です。
    それを全ての生物を対象として用いると、多くの人は言われ無き罪に問われるような戸惑いを覚えると思います。貴方の主張が誤解される恐れがあります。
    「微小生物にも「感情」がある」という世界観が一般化し、微小な生物に対しても人権に似た概念を適用するという時代がくれば、「生き物に対する差別」という言葉が共通の言語となってくるでしょう。しかし今のところ差別という言葉には慎重になったほうが良いと思います。
    (あるいは「生き物権」ともいうような、新たな権利概念を提唱するという方法もありますが、それは貴方の世界観の有効性が十分に示されることが前提となります。)

    返信削除
  12. “ゾウリムシに「感情」があるという証明はできないが、「ゾウリムシは何も感じていない」という機械的な、殺伐とした自然観よりも、「ゾウリムシは何かを感じている」と考えるほうがより豊かな自然観をつくることができる。”

    自分の感情も混めた文章をまとめて下さいましてまことにありがとうございます。証明になっていなかったようで。もうしわけございません。上の文章はまさに私がいいたいことです。

    さて、ここからはまた感情的なことです。先日の世界ふしぎ発見という番組で板東英二さんが、子牛に焼き印を押していました。大やけどです。ひどいように思いましたし、かわいそうだとも思いました。飼育している動物は食べるため、そう習ってるのでしょう。しかし、あなたのお子様が食料となるとしたらどうでしょうか?

    どこで線をひきますか?さる?犬?鳥?魚?ウニ?くらげ?植物は?原生動物は?バクテリアは?

    サミぃはそのどこにも線が引けないと思うのです。どこまでが感情というものを持っているのか、どこまでが命の尊厳をもっているのか。サミぃはみんなもっていると思います。

    葉っぱをたべることだけ許されているベジタリアン?そんな人がいると聞いて、あきれています。

    ま、でも田島様もゾウリムシと話は出来ませんから。おそらく微小な電極をゾウリムシにさして、生殖相手が見つかった際に、激しいシグナルが検出されるはずです。そこに、化学反応(たんなる物質)とは言えないと思うのです。

    ソロモンの指輪を持っていませんからだれも、、。

    返信削除
  13. 赤血球も細胞であるので、「感情」がある。
    肺胞で酸素に接すると喜びの雄たけびを上げるでしょう。

    ウィルスの一種、T4ファージは他の生物の細胞膜に取り付くと、自分の内部からDNAを注入します。
    そのときオーガズムを感じているのでしょう。

    DNAは温度を上げたり下げたりすると2本鎖がとけて1本鎖になって、増えていきます。
    DNAたちは、PCRの中で増殖の喜びに満ち溢れているでしょう。

    筋肉組織の中で、ミオシンがフィラメントの上を動くとき、重労働に苦痛を感じているでしょうか。それとも働く喜びを感じているでしょうか。

    歯を磨くと歯周病菌が断末魔の叫びを上げ、髪を抜くと毛根が絶望に震える。

    人間の60兆もの細胞は、すべて「感情」があり、人間の意識が感じ取るいわゆる感情(以下、<感情>と書きます)というものは、
    60兆もの細胞が織り成す「感情」に比べれば、全く問題にならない程です。
    さらに1個の細胞も無数のオルガネラの「感情」の集合体であります。
    ひとりの人間の中に、幾つの「感情」があるというのか?気が遠くなりそうです。

    この気が遠くなりそうな程の膨大な「感情」は、私たち人間が普通に感じている<感情>と同質のものである---というのが、サミィさんの世界観であるわけですね?。
    すなわち、私たちのもつ喜び、悲しみ、苦痛、快楽などのそもそもの根源は、生命活動に関連するあらゆる有機化学反応に、源を発しているということです。
    生命である、生きているということは、これら有機化学反応そのものが持っている「感情」と時空をともにしているということなのでしょう。
    実に魅力的な世界観です。

    しかし・・・しかし、、、、私には疑問の暗雲が立ち込めます。
    タンパク質が反応して結合したり構造を変えたりするとき、どのように「感情」が表象するというのか?
    もし1個のみのタンパク質反応では「感情」は生じないとすれば、多数の有機化学反応が集まれば、「感情」が表象する「場」が生じるというのか?
    これは、物質以外の何か別のものを規定することではないのか?
    つまり、物質の背後に何か別の働きを認めていることではないのか?二元論ではないか?
    つまり、一度否定した筈の、「たましい」の存在を認めることになりかねないのではないか?

    返信削除
  14. いや、どうでしょうね。これは生き物とは何かをWhat is Life?のコメント欄である人と激しくディスカッションしたことがあります。私の考えとして述べたことですが、癌は生き物ではない、なぜならそれは個体ではないからと述べていました。

    そう考えていたのですが、そうした考え方は私の持論にわざと足かせをしているようにも思えます。

    生き物とは何か、これはWhat is Life?のメインテーマーです。つまり、教科書的にはウイルスは物質の集合体であり、自ら子孫を増やすことが出来ないから生き物ではないのだ、、、そう習います。きっと田島様もそう習ったと思います。

    そうなると、つまり、物質の集合体である<私たち>(生き物と言われているもの全て)と、単なる物質(非生物)の間のどこに差があるのかということに繋がります。

    おそらく有機化学反応であれば、そこに感情というか、あらゆる意味のシグナルがある、それが感情の原点であると考えられなくもないことになります。

    つまり、こうです。

    (1)生き物は物質の集合体である
    (2)そこには化学反応に由来するエネルギーの消費とそれにともなうシグナルが存在する
    (3)石ころのように、そこに受動的であろうが能動的であろうが、何ら反応のないものを非生命体と定義することが可能である。
    (4)ここで我々人間であっても感情とは複雑なシグナル集合体である。
    (5)シグナル集合体こそが感情の原点であり生命の根源である。

    これこそがサミぃの結論です。いかがでしょうか。

    これに対する田島様の回答が得られた段階で、この一連のテキストをWhat is Life?に掲載したいのですがよろしいでしょうか?

    返信削除
  15. 細胞の機能は、シグナル伝達によってなりたっており、酵素とかカルシウムイオンなどなど
    具体的な物質の作用であることは、サミィさんも良くご存知のことと思います。

    つまり、1個の細胞はシグナル伝達物質の機械であるということもできます。
    しかしサミィさんの世界観では、それは機械ではない、「感情」を持つ、ということですね。

    このシグナル伝達物質の集合体が、「感情」を持つとはどういうことなのか?
    それは、単なる物質の受け渡しではない、「何かの効果がそこに生じている」ということです。
    「何かの効果」とは何か?それが「感情」です。
    では「感情」とは何か。それは「単なる物質の受け渡し以外の何かの効果」である・・・
    「何かの効果」とは何か?それが「感情」です・・・・ 議論が循環してしまいました。

    残念ながら「シグナルの集合体」と、「感情」が成立するということの間の、決定的な接続が見出し得ないのです。

    したがって、シグナルの集合体があるということは、「感情」が成立することの必要条件ではあっても、十分条件ではない。

    つまり、「感情」が成り立つ条件=「シグナルの集合体がある」+「何かの条件」ということです。

    「何かの条件」とは何でしょう?

    サミィさんの文章の文脈を読むと、「自ら子孫を増やすことができる」ことがその条件であるかのように見えます。

    「感情」が成り立つ条件=「シグナルの集合体」+「自ら子孫を増やすことができる」=自ら子孫を増やすことができるシグナル集合体である。


    この図式でもう一回問うてみましょう。

    自ら子孫を増やすことができるシグナル集合体が、「感情」を持つとはどういうことなのか?
    それは、単なる物質の受け渡しや、単なる増殖ではない、「何かの効果がそこに生じている」ということです。
    「何かの効果」とは何か?それが「感情」です。
    では「感情」とは何か。それは「単なる物質の受け渡しや単なる増殖以外の何かの効果」である・・・
    「何かの効果」とは何か?それが「感情」です・・・・ また循環してしまいました。

    残念ながら「自ら子孫を増やすことができるシグナルの集合体」と、「感情」が成立するということの間の、決定的な接続が見出し得ないのです。

    したがって、自ら子孫を増やすことができるシグナルの集合体があるということは、「感情」が成立することの必要条件ではあっても、十分条件ではない。

    つまり、「感情」が成り立つ条件=「自ら子孫を増やすことができるシグナルの集合体」+「何かの条件」ということです。

    「何かの条件」とは何でしょう?

    返信削除
  16. 少し私の主張が正確に伝わっておらず、そうした感情というものが何か特別な、神秘的なものを仮定されているように感じています。

    もう一度、これまでの流れから、私が感じるようになった結論(?)めいたことを整理して記載します。文鳥を短く書きますので、正確なニュアンスはもしかすると伝わらないかも知れませんが、ご了承下さい。

    (1)「生き物」の定義は自ら「子孫を残す能力を有するもの」を指します。これは教科書的なもので、もちろん人が決めたものです。

    (2)では「自ら子孫を残せないもの」として「生き物」ではないと定義されるものは何かというと、それはウイルスということになります。その定義ではウイルスは他の手を借りないと増えることが出来ないからです。しかし、田島様のご指摘通り、そこではRNAやDNAを注入する仕組みが会って、それはどこかにエネルギーが関与しているはずです。

    だとすると、それは感情を持つのでは?と仮定できる可能性があります。そこでまず私はそうした「生き物」の教科書的な定義を取っ払って考える必要があるのではないかと感じました。これは田島様の影響によるものです。

    (3)さて、そうすると、この議論の根源となる感情、あるいは魂、気持ちとは何かということを改めて考え直さなかればなりません。そこで原点に返って、私たち人間から考えたのです。私はこうしてMacBook Proと呼ばれるパソコンを使って、この文章を書いていますが、私は「生き物」です。それは極めて複雑な物質が無限とも思えるような膨大な数存在し、そこで外界から得た食べ物(エネルギー源)を利用して死ぬまでスイッチが入りっぱなしの物質集合体です。そして、そこでは化学反応と呼ばれる電子の動きが存在し、そこに熱や、電気、音などのシグナルが発生している極めて複雑なシグナル集合体なのです。

    (4)人間がシグナル集抗体であることはこれでいいのですが、次に、もう少しだけミクロに迫ってみましょう。細胞です。人は細胞集合体です。単細胞となると自ら子孫を残せない体細胞が殆どですが、でもそこには多くの物質と化学反応と電子の動きが存在し、るシグナル集合体であることは自明です。

    (5)では極端に反対に位置する石ころを考えt見ましょう。私たちがその石ころを蹴れば移動し、音が発生し、二つに割れれば子孫が増やせたことになるかも知れませんが、残念ながら石ころはこれまで挙げた定義のどれを参考にしても、シグナル集豪邸では有りません。ん?しかし、、、、、、いや、溶けて動いているマグマは?などとちらっと気になりましたが、それは \(^_\)ソレハ(/_^)/コッチニオイトイテ。石ころは生き物でもないし、シグナル集合体ではないのでそこに感情は無いはずです。拾ってきたかわいらしい石ころに愛情を持って接することでなんとなくさらに可愛さが増し、石ころが夢に出てきてお告げをしたとしてもそれは人が勝手にやっていることです。

    (6)私の主張を示します。感情はシグナルの組み合わせから「感じている」と勝手に考えているものである。しかし、それは石ころとは区別される広い意味での「生きもの」(癌も単細胞も酵素も含まれます)が起こしているシグナルなのです。よって、感情というものも、実はシグナルの集合に過ぎず、だとすると、感情そのものは幻想であり、感覚というものを複雑なシグナルであると定義することが出来、それを広範囲に適用するならば、シグナル集合体には感情が存在するということになります。

    (7)以上です。

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  17. 確認したいのですが、貴方は、「シグナル集合体は全て生き物である=「感情」を持つ」というふうに考えを改めたのですか?

    前回のレスでは、自ら子孫を増やすことができないものは生き物ではない、とおっしゃっていましたが、
    今は、その制限を撤廃して、
    シグナル集合体=生き物=「感情」を持つ というシンプルな考えになったのですか?

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  18. 自ら子孫を残すことが出来ないものは生き物ではないというのは、教科書的に学んだもので、これまでの私の考え方の根幹でした。

    ですので、癌が生命現象を担っていても、個体でないので、生き物とは呼べないとずっと信じ続けてきました。

    しかし、翻って見れば、そこに多細胞生物の生殖によって子孫を残すという生活環が存在するために、敢えて、個体ではない癌組織を生き物ではないと言っていたのです。

    まだ自分の確固とした考えがあるかどうかについて不安定なところがあるのは否定しません。田島さんとのこのディスカッションによって、大きく影響された点もございます。

    ですが、生き物か生き物でないかは、感情を持つか持たないかの定義とは異なります。癌であっても、そこにはシグナルが存在し、栄養を与えれば生き続けますし、栄養や環境が悪化すれば苦しむはずです。

    私はこのディスカッションを通して、少し考えが変わりつつ有ります。それは田島様が皮肉を込めて仰ったT4ファージなどのことが、それでも生き物(個体とは別の意味です)である、すなわちシグナル集合体であると考えたのです。

    そうだすると、酵素の楊なものでも電子の授受と言う反応をしているのであって、電気信号を「感覚、感情」といっているのと、何ら違いが無いと考えるようになったのです。

    そうだとすると、どこに線を引かれますか?と敢えてお聞きしたいです。猿?犬?キジ?それともバクテリア?ファージ?どこでしょうか。どこから感情が無く、物質と考えられるのでしょうか????

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  19. すみません、問われているので答えなければならないのですが、
    さらに疑問を呈するのをお許しいただきたい。


    「生き物か生き物でないかは、感情を持つか持たないかの定義とは異なります。」
    ということは、
    a:感情を持つ生物、b:感情を持たない生物、c:感情をもつ非生物、d:感情を持たない非生物
    の4つのパターンがあるということです。
    aは存在します。dも存在します。
    cはたぶん無いでしょう(分かりませんが、ある・ないの議論は今は便宜上やめましょう)
    bは、在り得るとお考えですか?

    いままでのサミィさんの論調から、生き物=感情を持つ、生き物でない=感情を持たない
    ということかと思っていましたが。

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  20. a
    b
    c
    d

    a.当然あります。
    c. これはありません。
    d. 当然あります。

    問題は、bです。感情を持たない生物はいません。これが田島様と異なる点なのでしょう。

    生き物の定義をここでは教科書的な(自ら子孫を〜〜)ものではなくて、タンパク質などの酵素まで広げます。

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  21. では、
    生き物=感情を持つ、生き物でない=感情を持たない
    という関係が成り立ちますね。

    話を戻しましょう。

    貴方はこう書いています。
    -----------------------------------
    感情はシグナルの組み合わせから「感じている」と勝手に考えているものである。
    しかし、それは石ころとは区別される広い意味での「生きもの」(癌も単細胞も酵素も含まれます)が起こしているシグナルなのです。
    よって、感情というものも、実はシグナルの集合に過ぎず、だとすると、感情そのものは幻想であり、
    感覚というものを複雑なシグナルであると定義することが出来、
    それを広範囲に適用するならば、シグナル集合体には感情が存在するということになります。
    --------------------------

    ・・・難解な文章ですが、要は、「感情は、シグナルの集合である」ということかと思います。

    しかし私の提起している問題は、シグナル伝達という単なる物理現象が、どうして心的現象という内部表象を引き起こすのか、ということです。


    貴方は、人間の感情もシグナルの集合である、ということを根拠としているのですが、
    現在、脳科学で論じられている感情の成り立ちは、サミィさんのいう単細胞生物における「感情」の成り立ちとはずいぶん違うものです。

    現代科学が論じている心的現象のなりたちは、私の理解するかぎり以下のとおりです。
    脳の中にある無数のニューロンには、パターンをつくる発火のモジュールがあり、
    それらモジュールの発火が連鎖反応的に起きて、それらの共同や葛藤から個体のその場の行動が決まります。
    自我とはエピソード的に記憶をつくる表示板のようなもので
    感情はいわばそこに描かれる目印であるということです。
    これが前野隆司のいう受動意識仮説です。

    一方で、デイヴィッド・チャーマーズのように、意識問題はニューロンの発火と関係しているものの、
    従来の科学とは問題へのアプローチ自体が全く異種の「難しい問題」だ、という人もいます。一種の二元論です。

    いずれにせよ脳がなければ感情がない---ということが今の科学では支配的なのですが、
    貴方は、脳がなくても感情が成り立つ、という新説を提唱するということなので、これは大変なことです。

    前に、ゾウリムシに感情があるという根拠を示しえない以上、世界観に訴えるしかない。と申し上げました。

    一般の人々に対して、「「ゾウリムシは何も感じていない」という機械的な、殺伐とした自然観よりも、
    「ゾウリムシは何かを感じている」と考えるほうが、より豊かな自然観をつくることができますよね、皆さん」と訴えて
    たくさんの事例を紹介し、状況証拠を固めていくというやりかた。自説の正しさを証明するというよりは普及して包囲網をつくるということです。
    ・・・しかし、ニューロン主義に毒されている現代人は、心情的には賛意を示すかもしれませんが、すんなり受け入れるとは思えないですねえ。

    貴方の説の最大の弱点は、「シグナル伝達が心の座に成り得る」という一点であって、このことをもっともらしく説明するのは今のところ極めて困難。
    しかしサミィさんにとってはこれだけは外すことができない、「世界観の極点」のようなものでしょう。
    しかし、「証拠はないけど、とにかくそうなんだ、そう信じてくれ」と言い続けるのも限界があると思う。

    やはり、実証的な検討が必要だと思います。
    ニューロンがなくても心的活動が成り立つということだとすると、何がニューロンの代わりになるのか?
    酵素反応やシグナル伝達分子の連鎖が、ニューロン発火モジュールと同じような働きをするということだろうと思いますがもっと詳しいモデルが必要だと思います。

    以下は証拠にはなりませんが、有力な状況証拠をつくるアプローチとして・・・
    ゾウリムシの鞭毛運動、代謝、走化性、生殖などの機能を、分子レベルで出来るだけ詳しく記述してみて、
    その中に、脳のニューロン発火パターンと共通の法則性を発見することができれば、ブレイクスルーが見えてくるのではないでしょうか。
    人間の感情を生み出すニューロン発火パターンと、ゾウリムシのシグナル伝達パターンに共通性があるしたら、ゾウリムシに心的表象があることを示唆できると思います。

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  22. なるほど、脳科学は理研の最大のテーマでしたね。現在の脳科学は、脳内のパターン形成(どこが活性化しているかを調べればわかるのでしたね)を詳細に調べているので、単細胞生物とは違う、そう仰りたいのですね。

    確かに、それは実証されているでしょう。確か、蝶を見ると一瞬蝶の形に活性化するというのを見たことがあります。

    しかし、仮にそうだとしても、根源は同じな訳です。田島さんが、そうした高度な機能によって感情が体系的に脳内で作られていると仰ったとしても、私の考えは変わることはございません。

    田島様の主張は大変に説得力が有り、その点(感情は脳が作っているということ)に関しては同意しますし、納得しています。

    ですから、私たちとゾウリムシのシグナルの捉え方には違いが有るのだとおっしゃるのですね。良く理解しました。大変分かりやすい内容です。

    しかし、ではどこに線を引きますか?これは田島様がお答えになるべき問題です。脳科学が確かな実証に基づいていると言っても、それは調べた対象が主に哺乳類に限られているに過ぎません。

    全ての生き物が生活しているのです。感情の根源が電気信号であるのは実証されており、それを作り出すのが、脳だというのは当然です。では、ウニは何も考えずに生活しているのでしょうか。現時点で証明する努力をしていないだけで、否定するための実証もしていないのですから、そこを争点にするのはいかがかと思われます。

    もう一度繰り返します。生き物は物質集合体で、シグナル集合体です。人を初めとした高等脊椎動物は脳を有していて、その高度なネットワークによって、外界の情報を体系的、集約的に解析し、体を制御している。しかし、では、そうした中枢神経系を持たなければ、外界の情報を解析し、体を制御できないかというとそんなことはございません。

    ハエの飛行制御機構を研究すると、極めて高度な解析システムを有していることが分かってきました。http://wiredvision.jp/news/200908/2009080623.html

    さて、そうしたハエでさえ、フェロモンや視覚によって、結婚相手を捜し、喜びを感じているのです。そうしたことは単細胞でも多細胞でも同様ですし、突き詰めれば酵素でも同じではないでしょうか。電気信号はなくとも、そこはエネルギーという物理学の領域によって、説明可能な化学反応のエネルギー論的説明があるはずです。

    実証されていることと、実証されていないことを比較して、そこに違いが有るという田島様のお考えは生き物博士の私には到底受け入れられません。

    宗教ではございません。自然をこの目で真剣に観察してきた一人の生き物博士の思いなのです。

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  23. どうも誤解をされているようで。
    誤解を招くような書き方をしたほうが悪いと思いますが。
    私自身はニューロン主義者ではありません。

    ゾウリムシに感情があるという貴方の思想に、よくある唯物論的な解釈(脳がなければ感情がない)を投げてみたのです。
    つまり「私ではないけれど、こういうふうに考える人が多いから、それに対する反論を用意しておいたほうがいいですよ」と
    申し上げたかったのです。
    前回のレスの最初に、そう書いておけばよかったですね。

    だから、この手の唯物論者に「参った」といわせるような反論をして欲しかったのですが・・・



    ---------------------------
    「どこに線を引きますか」という問いに対して:

    以前申し上げたように、私は汎感覚論者です。
    どこにも線を引きません。
    生物と非生物の区別もしません。
    石にも感覚があると考えます(というと、変です。正しくは、結晶の結合の強さに対応する感覚がそこにある)

    感覚の分化によって物質が誕生し、生物が誕生したと考えます。

    宇宙が開闢して、すぐに軽いものと重いものが分化し、電磁波と物質が出来ました。

    冷えるにつれて、物質界はどんどん複雑化し、その中のごく狭い領域に、液体の水が安定して存在する環境ができました。

    そして代謝機能と分裂機能を持つ小胞が出来上がりました。生物誕生です。
    感覚の分化にとって極めて重大なイベントです。

    長い間、生物は、周囲の環境そのものとなって生きてきました。現象そのものとなっていました。

    その後生じたより複雑な生物の、感覚器と神経細胞を通じて感覚をシミュレートするシステムよりも、
    それらの微小な生物のほうがダイレクトに元の感覚のほうに近いといえます。

    微小な生物たちは、どのような感覚世界にいるのでしょうか。
    私はたびたび想像しようとし、それらしい気分になることもありますが、所詮は脳の中での想像です。
    できればゾウリムシになって経験してみたいものです。

    (脳は、ニューロンパターンによってシミュレートされた世界を見ている。)

    ところで私は、微小な生物が、実際に感覚を表象してるか、ということにはあまり頓着していません。

    なぜなら感覚はすでにそこにあるからであり、信じがたいほどよくできた身体の造形と機能でもって、全身でそれを表現しているからです。
    当の本人が何かを思っている、いないにかかわらず。

    私は自分の身体を不思議に思います。「こいつは何を考えているんだろう」と。予期せぬ下痢などをして困らせます。コミュニケーションの取りにくい相手です。つくづく、身体とは、自我とは別の他者だなあと思います。

    またツユクサの原形質流動などを見ると、適当な何かの言葉が出てきません。
    これらのことは、私自身の身体も精神も、一つの現象であることを思い起こさせ、言葉という記号を無化います。

    ただそこに起こっている。私も、私の前にある水槽の中の水草も、それをシュミレートする私の脳内のニューロンパターンも。
    これらはフラットなことであり、全ては同じ現象です。ただそこで起こっていることです。精神とは身体であり、身体とは物質です。
    ただそれだけのことであって、それ以外のことではないのではないか?そしてそれが、それ以外の何ものでも無い、唯一のことである。そういうことではないか。

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  24. 昨日のコメントは夜中の2時で眠かったせいか、今読むとダメですね。
    議論を共有できる話題になってない。失礼しました。


    さて最近、手にとった本があって、
    「創発する生命 - 化学的起源から構成生物学へ」

    私たちの設定課題にとって非常に示唆的であるので紹介します。
    全部読んだわけではないですが

    特に 8章 オートポイエーシス----細胞生命の倫理
    が興味深い箇所です。

    オートポイエーシスについては、すでにご存知のことと思いますが、
    生命のとは何かということについての、システム論です。

    この章のなかで、「オートポイエーシスと認知」という興味深い一章があります。

    生命とは何かということについて、オートポイエーシスだけでは不十分で「認知」という概念が必要だといいます。
    (以下----に挟まれている箇所は引用)

    ---------------------
    ヴァレラとマトゥラーナによると、認知にはさまざまなレベルが存在する。
    生命の複雑さに応じて、単細胞生物から、多細胞生物、植物から昆虫、魚類、哺乳類に至るまで、それぞれ異なる種類と
    度合いの認知が存在する。(p200)
    --------------------

    簡単な例でいえば、細胞膜が特定のイオンのみを取り込むことも、「認知」と位置づけることができます。


    ところでヴァレラは、「身体化された心」という書籍を著し、多くの紙面をフッサールについて割いているということ。(p210)

    意識と身体は別のものではなく、相補的なもの、むしろ切っても切れない関係にあるという直観が私にはありますが
    身体と心的現象を論じるなかで、現象学の祖であるフッサールについて論じることができるとは興味深い。

    それはさておいて、単細胞生物などは、身体と精神が一体となっていると思います。
    彼らの代謝や運動、生殖は身体機能であると同時に精神そのものともいえると思います。
    つまり身体と精神が分化していないのです。

    一方、人間は身体と精神が離れています。
    実は離れているかのように誤解しているのだと思います。(精神のほうからしか見ることができないから)



    著者は言っています。
    ----------------------------------
    意識とは (中略)存在することの本質に最初から含まれているものであり、物理的身体の中にその起源を有するものなのである。(p211)
    ---------------------------------

    ---------------
    意識の研究を対象とする研究機関等も数多く設立されているが、そこで強調されているのは脳と精神の関係である。(理研のBSIも例外ではありません:田島)
    意識が生命の論理を基にして、生命に内在する性質として論じられることは非常に少ない。
    しかし筆者は今後の流れがそのような方向に向かうと確信している(p212)
    --------------


    ちなみに、「創発」(emergence)とは 「複雑性の低い下位の構成物が集合することによって、より高い複雑性が実現される際に生じる、
    それまでには存在しなかった新しい性質の出現を表現するもの」という意味です。
    細胞が単なる分子機械ではないことをよく表した概念です。

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