2009年3月22日日曜日

視覚によらない想像

「眼の誕生」という本を読んだ。
この本は、カンブリア爆発という進化史の爆発的進展がなぜ起こったのかということを 解き明かした本である。
著者は「光スイッチ説」を唱える。
目を持った生物の登場によって、捕食生物は獲物を正確に捕らえられるようになり、 被捕食生物は、逆に保護色、硬い甲羅、または逆に驚かすための派手な色に 自分の体を変化させざるを得なかった。
視覚の登場によって、世界が一変したのである。
まさしく開眼であった。

考えてみれば、コロンブスの卵のような、至極当たり前の説に思える。

さて、そうすれば、眼というもの、視覚という感覚が存在しなかった、先カンブリア代。
先カンブリア代の海を想像すると、荒涼とした海底に、僅かなウミユリみたいな生物が フラフラ揺らめいている様を想像するけれども、 そのような視覚が存在しないかったのだから、そのような想像の仕方は間違っている。
とすれば、視覚によらない想像とは なんだろうか。
まさに自分自身が太古の海や太古の生物そのものになること

生理的な直感
直接的な観取

そのようなものでしか想像できないはずである。
しかしそれは可能であろうか。

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