2011年11月14日月曜日

檸檬テロ

梶井基次郎は、小説「檸檬」において、丸善の本を積み上げてその上に檸檬を置き、それを爆弾と称した。
この爆弾は「得体の知れぬ不吉な塊」を吹き飛ばすことに成功した。


基次郎の行為は、物理的には本の山の上の檸檬にすぎない。
だが、檸檬は小説となることによって人々の意識内部にて作動し始めた。
文化のメディアを纏うことによって動き始めたのだ。


さて今や我々は社会的システムに取り囲まれている。基次郎の時代とは比べ物にならぬほど何重もの層になっている。
このシステムの第1の特徴は、自然と人間を隔てる社会的なインフラである。
住宅、道路、上下水道、電力供給網、通信電波網、生産、流通、金融…。
我々は、社会という体内の中にいて、その中でのみ生きていることができる。
システムの第2の特徴は、社会の内部での支配であり、主なものは、制度と記号である。
記号の最たるものはカネであり、私たちはそのために生き、そのために死ぬといっても過言ではない。

それが我々の棲息する現場であり、我々自身の状況だ。
これらのものがどれほど我々を実在というものから遠ざけているだろうか。
そして、そのことをいかに巧妙に隠蔽しているだろうか。

「得体の知れぬ不吉な塊」は、形を変えて再生産されている。
これらの勢力は浸透力が抜群で、圧倒的であり、一見反撃の余地はないかのように思える。


しかしそうではない。社会システムをずらし、折り曲げ、別の物語を生成する場所をつくることはできる。
我々の目の前には、かけがえのない場所と現実の物体があり、私の肉体はここにある。
私は、新しい物語が息づく場所を作りたいと思う。
それは芸術という分野のみならず、我々の精神生活においても機能するような仕掛けであり、
「生きていくため」に必要な技術である。


 
・・・---・・・    ( S O S )
 
   

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2011年11月5日土曜日

歩道橋に紅葉を並べてみた

我が家の近くに環七(環状七号線)がある。
そこに歩道橋がかかっている。
ほとんど使われていない。
通行は1時間に一人程度。
近くには信号と横断歩道があり、大抵の人はそこを使う。
歩道橋は何のために作られ、維持されているのかわからない。


秋の紅葉の葉を並べてみた。





下はクルマがひっきりなしに通る。
しかし、歩道橋の上は見られない。一種の密室です。
私は人知れず葉を並べていた。

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