tag:blogger.com,1999:blog-6852976079481928043.post8680048580635711663..comments2024-01-03T11:26:42.807+09:00Comments on 実体と表象の間: 私には根本的な疑問がある巳巳 (田島鉄也)http://www.blogger.com/profile/03669940941275514569noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-6852976079481928043.post-89127030470248838482012-07-02T22:09:28.785+09:002012-07-02T22:09:28.785+09:00コメントありがとうございます。
全くおっしゃる通りです。
私は、感覚を作り出す主体は、人間である...コメントありがとうございます。<br /><br />全くおっしゃる通りです。<br /><br />私は、感覚を作り出す主体は、人間であるとは思っていません。<br />人間が存在するよりも先に感覚があったと考えます。<br />そして私が、感覚を心の中で表現する(感覚を味わう)ということは<br />何かよんどころ無い事情による副作用のように思います。<br />だから同じように抑圧されている種(人間)は、同じような抑圧された感覚的な美を発見し、それを共有することでしょう。そしてそれは、世界の真実にはほど遠いものでしょうが、人間という種には意味のあることでしょう。巳巳 (田島鉄也)https://www.blogger.com/profile/03669940941275514569noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6852976079481928043.post-17091752150852291092012-07-02T11:32:01.713+09:002012-07-02T11:32:01.713+09:00普遍的な感覚など有りはしないか、有るのかも判らない、それが個々の心身で味わう感覚ではと考えています。...普遍的な感覚など有りはしないか、有るのかも判らない、それが個々の心身で味わう感覚ではと考えています。ただ、少なくとも、同じ人間であるならば、その心身も似通っていますから、同じ感覚を味わう範囲は似通っているかも知れませんが、自他の間には、齟齬が存在すると認識する姿勢が大切に思っています。それ故、お互いの意思の疎通をするに、言葉、絵画、造形、文学ーーー等の表現方法が必要なのだと思います。皆が普遍的な感覚を持っているのならば、意思の疎通等、必要ないのですから。小生は、このように考えています。ただ、我々の存在に関係なく、この森羅万象は存在し、その一部として生存している点においては、同じ状況に有ると思っています。この一点においては、普遍的な感覚として、誰もが共有出来るようには思います。<br />如何でしょうか。sikunsipotahttps://www.blogger.com/profile/16418726678623017567noreply@blogger.com